屋上菜園物語 (全12話)

屋上菜園物語(1)我が家

 

真澄は買物のついでにふと屋上に上がってみようという気になった。館内の案内板に屋上の利用案内のポスターが貼ってあったからだ。急いで家に帰ることもなかった。夫が朝出社してから夜迄、真澄は一人だった。「今日は荷物も軽いし」エレベータで10階に上がる。

エレベータホールのドアを開けて階段を降りると屋上は緑一色だった。

 

「ワーッ」

 

真澄は胸の内で小さく叫んだ。

「こんなふうになっているんだ。へ~、知らなかった。」

屋上の左側には菜園があり、その奥にブドウの棚。右側に芝生が広がっていて、島のような感じで花壇がポツン、ポツンとある。

「ビルの上がこんなふうになっているんだ。」巡回しているガードマンが会釈をして去っていく。

5月の空が大きく、高く頭上に広がっていた。思わず深呼吸をした。すぐ近くに東京スカイツリーが見える。屋上の鮮やかな緑が真澄の落ち込んでいる気持にも映り、少し元気が出てきた。

屋上には何人かの買物客が上がってきている。子供を乗せたバギーを前に置いて、ベンチで休息がてら会話を楽しんでいる母親たち。真澄は見るともなしに親子を見ていた。

「私にもあのような光景がやってくるかしら」

若いカップルが芝生の上を歩きながら囁き合っている。二人だけの世界。「私にもあんな時があったわ」

真澄は暫く自分が立ち止まっていたことに気がつき、歩き始めた。まず菜園の区画に向かった。

「どんなお野菜を栽培しているのかしら」

区画毎に栽培している野菜のプレートが立っている。

四季成りイチゴ、ミニトマト、ナス、シシトウ、フルーツピーマン、キューリ、スイカ、エダマメ、サツマイモ。

屋上でもこんなにいろいろできるんだ。真澄は区画毎に野菜を見て回った。野菜の苗たちがそれぞれ元気に生長している。思わず声をかけた。

「元気に育つのよ」

屋上菜園の案内板を読む。

「この屋上では15cmの深さの土で葉物、実物、根物野菜を有機栽培しています。一番美味しい旬の時に完熟の野菜を収穫します」

「そんな薄い土で野菜が育つのかしら」

しゃがんで、ミニトマトの株を見ると小さな黄色い花がいくつもついている。葉物野菜はともかく、実もの野菜、根もの野菜はもっと深い土ではないと良く育たないんじゃないかしら」

真澄は野菜栽培のことは良く知らないが、最近テレビで農業番組が増えてきているので、何気なく見ている。

真澄は福井の出身で、今の夫とは大阪で知り合い、夫の転勤で東京に来た。東京には友人が一人もいない。いつか大阪に帰ると思うと、友人を東京でつくることにあまり積極的になれない。夫からは友達をつくれ、と言われるけど。私は友達との別れがとても辛いタイプなの。

真澄はミニトマトの花にそっと声をかけた。

「私はひとりぽっちなのよ。トマトさんはお友達が沢山いていいわね」

トマトの区画にはトマトの株が10本以上植えられている。

ミツバチが飛んできて花から花へと動きまわっている。

「こんな屋上にもミツバチが来るんだわ。どこから来るのかしら」

ミツバチが去った後、微風に揺れながらミニトマトが真澄に話しかけた。

「私達は花を咲かせ、黄色い花を赤い実に変えていきます。最後はあなたの背丈ほどにもなりますよ。最初、この屋上菜園に来た時には思わず泣いてしまいました。こんな薄い土でしかも乾燥しやすいところで、生きるなんてとてもできない、と思ったからです。でも私達を世話してくださる方達のお陰で今では『大丈夫』という気持で毎日を生きています」

真澄は思わず答えるともなしに言った。

「トマトさんはミツバチさん、それに世話してくださる方達がいて幸せね」

トマトが言った。

「真澄さんにもきっとそのような方達がいるはずですよ。」

「そうね、そうだといいんだけど。・・・私、結婚したら早くお母さんになりたいと思ったの。でもなかなか子供に恵まれなくて、もう3年たったわ。年齢のこともあるし、焦ってもいるの」

トマトは言った。

「今はまだ5月で実は一番下の枝にしかついていませんが、2番目、3番目・・・6番目と枝に花が次々と付いて実が鈴なりのようにたくさんつくんですよ。楽しみにしていてください」

トマトの花をじっと見詰ていた真澄はふと我に返り、ゆっくりと立ち上がった。

ブドウの棚に近づいて行った。太い枝が2本伸び、そこから等間隔で細い枝が伸び、葉が繁っている。「今年の9月には枝たわわのブドウが稔ります」とブドウの区画の案内板に

書いてある。「ブドウもできるんだ」

ブドウの向こう、フェンス越しに隅田川が銀色に光りながら流れているのが見える。

真澄はフェンスに近づき、眼下に拡がる町を見た。その中に自分の家が見えたような気がした。そこだけかすかに光っているように見える。

真澄はわが家を両手の手のひらで包むようにして言った。「私の家・・・」

フェンスを離れ、エレベータ乗り場に向かう時、屋上菜園の傍を通った。真澄は思わず

野菜たちに声をかけた。

「今日はありがとう。お蔭で元気が出たわ」

トマトが言った。「真澄さん、夫婦は向き合うことが大切です。相手を深く知ることです。

ある時は勇気を持って相手の真実に向き合いましょう。そして何気ない時も含めて夫婦一緒の時間をできるだけ取ってくださいね。真澄さんには分からないかもしれませんが、私たちもそのようにして生きています。・・・そして気が向いたらこの屋上菜園に時々でいいですから、足を運んでください。私たちも真澄さんと笑顔の時を一緒に持ちたいと願っているんですよ」

 


屋上菜園物語(2)ほんとうの人間になる

 

西堀啓介は72歳を過ぎたころから、今迄と違う自分を感じるようになっていた。電車に

乗り、流れていく外の風景を見ながら、何か懐かしさと淋しさを感じるのだ。さらに言えばこの世にいる自分とあの世に行った自分、その二人が同じ風景を同時に見ている、という感じだろうか。そして淋しさがこみあげてくる。こんな経験は初めてだ。ひょっとするとお迎えが近いのだろうかとさえ思う。

啓介は思わずつぶやいた。「俺の人生って一体何だったんだろう」

 

啓介は先日、親友の森山に心の中の悩みを聞いてもらった。

啓介「最近淋しいんだ。何か具体的理由があるわけではないんだけど、とにかく淋しい」

森山「いつも元気そうにしているから、そんなふうに見えなかったけど、どうしたんだろうね」

啓介「高齢者のウツ病に俺もかかり始めているのかもしれない、と思ったりしている」

森山「最近、倉田百三の『出家とその弟子』を読んでいたら、こんな箇所があった。親鸞が弟子の唯円に、『私も淋しいのだよ。私は一生淋しいのだろうと思っている。もっとも今の私の淋しさはお前の淋しさとは違うがね』と答えている」

啓介「今迄の人生ではあれやこれやとやるべきことが山ほどあって、淋しいと思う時は殆ど無かった。自分と向き合う時間も敢えて持たなかったし・・・」

森山「その意味では今がその時なのかもしれないね」

啓介「来るべき時が来た、ということなのかな」

 

帰宅後、啓介はお茶を飲んで一服した後、今住んでいるマンションの屋上に上がった。夕

暮れが始まっていた。遠くの空が夕焼けでオレンジ色に染まっている。階段を上がったす

ぐのところに菜園がある。啓介は気分転換を兼ねて時々屋上に上がる。菜園には季節毎

にいろいろな野菜が育っている。オーナーの天海さんが、屋上菜園で野菜の有機栽培を専

門にやっているガーデンマスターと一緒に野菜の世話をしている。ミニトマト、ナス、キ

ュウリ、ピーマン、ジャガイモ、それに葉物野菜のフリルレタス、ハーブではルッコラ、

ミント、カモミール、ローズマリー。もう一つの区画は芝生で緑化されていて、ブドウ、

オリーブなどの果樹も植わっている。

 

啓介はウコンの前で立ち止まった。茎から大きな葉が何枚も出て、花が咲いている。蘭の

ような薄緑かかった白い花。こんなに可憐な花が咲くとは・・・啓介はしばらく見とれて

いた。それにしてもこんな15cmの薄い土で根物野菜がよくできるもんだ。ウコンの花

に触ってみた。「野菜の花ってきれいなんだな」その時、夕べの風が吹いてきてウコンの葉

を揺らした。啓介はウコンに思わず話しかけた。「俺に力をくれないか。自分の人生は、

失敗と挫折の連続だったように感じている。最近つくづくそう思う。世間は俺には微笑ん

でくれなかった。俺みたいな人間はこれから生きていてもたいしたことはないように思う

んだ」

また風が吹いてきた。その風の中で何か声が聞こえた。

「私は秋ウコンです。私はウコンとして生まれ、ウコンとして生長し、そして根茎をつけて一生を全うします。その間、遅霜にやられたり、害虫に葉を食べられたりしますが、それは生きていくためには仕方がないことだと思っています。私の願いは次の世代のために元気な、ほんとうの根茎を残すことです。西堀さんの人生もご自分だけの人生ではなく、次の世代の人達のための人生なのではありませんか」

 

啓介は慌ててあたりを見渡したが、誰もいない。確かにウコンが話しているのだ。啓介は目の前のウコンをもう一度見た。ウコンは言葉をつないだ。

「元気を出してくださいな。私は屋上で朝日を浴び、夜は星空を見ています。ただこんな都会では見える星は限られていますが、夜明け前の星が一番きれいに見えますよ」

夕焼けが最後の光を放った後、急に暗くなってきた。

マンションの部屋に戻ったら、妻の良枝が帰宅していた。夕食の準備で忙しい。啓介は良枝にウコンの話をしようかと喉まで出かかったが、飲み込んだ。「少し疲れているんじゃないの。だいじょうぶ?」と言われるのが関の山と思ったからだ。

 

あくる日、啓介は森山に電話をした。次の日、早速行きつけのカフェで会った。

啓介「実は昨日俺の住んでいるマンションの屋上菜園でウコンと話したんだ」

森山「農園を経営している人で野菜と話ができる人がいる、と聞いたことがあるけど、西堀くんもいよいよその域に達した、ということかな。・・・それでどんな話だった?」

啓介「ウコンが言うんだ。『私の願いは次の世代のために元気な、ほんとうの根茎を残すことです』って。」

森山「ほんとうの根茎か。俺も最近思うんだ。俺たちが生きているのはほんとうの人間になることではないか、と。ほんとうの人間になるためには成功よりも失敗、挫折、試練を経験することが大事なんじゃないかな。」

啓介「ほんとうの人間?・・・そんなこと、今迄考えたこともなかった。なんだか意味が深そうだな」

森山「ある人がこう言ったそうだ。『自分は成功のみを追求したからこそ、人生に失敗したのだ。たしかに仕事においては成功したかもしれない。しかし自分はほんとうの人間になることにおいて失敗した』、と」

啓介「俺たちが目指すべきはほんとうの人間、ということなんだね」

森山「能力、立場、環境に関係なく目指すことができる。そのためになくてはならないのは・・・なんだろう」

啓介「俺にもほんとうの人間を目指すことができるのかな。あのウコンがほんとうの根茎

を残す、と言ったように」

 

啓介は森山と別れてマンションに戻った。すぐに屋上に行き、ウコンの前に立った。

「ありがとう。お蔭で気持ちが吹っ切れた、というより整理できた。これからの残りの

人生、ほんとうの人間を目指して、生きていくよ。そう思ったら全てが愛おしくなってき

たような気がする」。

ウコンは微笑みながら言った。「西堀さんだったらできます。人には愛という神様が与

えてくださった尊い宝があります。是非愛を見つけてください。そうすれば西堀さんの人

生の失敗、挫折に新しい光が注がれるはずです。もう一度新しい気持ちで残りの人生を生

きてくださいな。そのためには健康です。私には肝臓の機能を高める効果があります。そ

のままでは苦いのでハチミツ漬けにして食べてくださいね。」

 


屋上菜園物語(3)故郷の母

 

菜穂は芝生と花壇、そして菜園のある屋上に久しぶりに上がってきた。今日はなぜか休憩時間を緑と空のある屋上で過ごしたいと思った。大きな青空だ。芝生を踏みながら、菜園のところにきた。夏野菜の収穫も終わり、菜園に残っている野菜は少なかった。菜園の一角に刈り取ったばかりの稲が干してあった。支柱を合掌式に組み合わせ、その間を支柱が横に渡してある。「そうなんだ、今年屋上で稲を育てていたんだ、知らなかった」。稲束の上には赤い鳥除けネットが掛けられていた。「そうよ、スズメが群でくるから。田舎と同じだ」

菜穂はそうつぶやいた後、故郷の風景を思い出した。そして母の顔を。

 

菜穂の両親は代々続く農家だった。米作を中心にしながらもその時、その時でいろいろな

野菜をつくっていた。昔はタバコも栽培していた。儲かるからということでシイタケ栽培に力を入れたこともあった。父は耕運機に乗って作業していた時、バランスを崩し、耕運機の下敷きになって命を落としてしまった。夕方になっても帰ってこないので、畑に行ってみたら息絶えている父がいた。高校1年生の時だった。菜穂には兄弟がいなかった。一人っ子だった。母は田畑を守るために、父が亡くなった後、遮二無二働いた。家事は菜穂の担当となったが、忙しい時には田んぼに、畑にと駆り出された。「身を粉にして働かなくては食べていけない」それが母の口癖だった。母は菜穂が地元の男性と結婚することを望んでいた。しかし菜穂は田舎で一生を過ごすとは考えていなかった。母と一緒に汗を流して働いたが家の暮らしは一向に楽にならず、「農業には将来性がない」と心の底からそう思った。「私は東京に出て、東京で働き、東京に住みたい」。高校3年生になった時、将来の進路を決めなければならない。菜穂の夢は服飾デザイナーだった。母に負担はかけられない、との思いから昼、夜飲食店でアルバイトをしながら生活費と学費を稼いで、ある程度貯まったら専門学校に行く、と母親に話した。母は「おまえがそう決めているなら、反対はしないけど、東京の生活は大変だよ。身体を壊さないか心配だ」

 

高校を卒業後、母の兄にあたる伯父さんに保証人になってもらってアパートを借りた。また飲食店に勤める際の保証人にもなってもらった。母が頼んでくれたのだ。

東京のアパートは家賃をできるだけ節約したかったので、板橋区を通る、私鉄の電車の線路近くの部屋を借りた。北西向きで殆ど陽があたらない部屋だった。早朝に家を出て、夜遅く帰ってくる。終電の通る音を聞きながら眠った。土曜日、日曜日も働いた。収入が多い月は母に仕送りをした。母からは毎月手紙が来た。

東京に来てから2年経った秋、菜穂は久振りで田舎に帰った。田畑の風景に耕作放棄地が目立った。「みんな歳をとって、はあ、農作業ができなくなってきたよ」「かあちゃんはまだ若い方だから頑張れるけど、正直しんどくなってきただよ」

「手伝ってくれる人もいるかもしれないが、多分みんな年寄りだろう。かあちゃんだけはいつまでも元気でいてほしい」菜穂は心の中で呟いた。

東京に出てきてから4年が経った。菜穂は服飾デザインの道を諦めてはいなかったが、

専門学校に行くだけの資金を貯めることはできなかった。今はこの商業ビルの6階にある

オーガニックの雑貨店の店員として働いている。毎月の母への仕送りも続けている。

 

今日屋上に来て、干してある稲束を見て、思わず母の顔を思いだした。それだけでなく

稲刈りの後、母と一緒に稲を干したことも思い出した。

屋上菜園で野菜の世話をしている人がいる。私が暫く干してある稲束を見ていたので、そっと声を掛けてくれた。「どうしました?」私は思わず「田舎の母を思い出していたんです」

「ご実家は田舎なんですね」「そうです。この時期はこんな田園風景が広がっています」

「そうなんですね。・・・東京の真ん中、ビルの屋上でもお米ができるんですよ」

菜穂はその人と別れ際に言った。「今晩母に電話します」。しかし菜穂はなぜか母に電話ができなかった。いつも忙しさにかまけて母に電話もかけず、手紙もかかない自分を責める気持ちがあったからかもしれない。「あの子は用事がある時だけしか連絡していこない」と思われているのではないか。

 

翌日また屋上菜園に行った。稲束は昨日と同じだ。少し風に揺れている。今日は屋上菜園を世話する人もいない。自分一人だ。稲束をじっと見つめていると声が聞こえてきた。

「菜穂さん、今日はお母さんに電話をしてくださいね。お母さんは菜穂さんの声を聞きたいんです。お母さんは田畑の仕事の後、毎晩たった独りで夕食をとっています。淋しさに耐えながら・・・、ある時は涙をこぼしながら、「菜穂・・・、お父ちゃん・・・」と、すぐ目の前にいるかのようにそっと声をかけて食事をしていますよ。

お母さんは言っていました。「菜穂が本当に幸せになる迄、お父ちゃん、私はそっちにいけないよ~。」

菜穂は思わず稲束に尋ねた。「あなたにどうして母のことが分かるんですか?私の実家は

栃木です。こことは遠く離れているのに」

稲束は答えた。栃木のあなたのお母さんのところから昨晩、ここまで風が吹いてきて、そう伝えてくれたのです。」

菜穂は思わずそこにしゃがみこんで泣いた。

 

その晩、菜穂は母に電話をした。

「お母さん、菜穂。ごめんね、ずっと連絡していなくて」

「菜穂、元気にしているかい?」

「私は元気よ。お母さんは元気?」

「大丈夫だよ、それはそうと東京の生活はどうだい。仕事はうまくいってるかい。」

「生活も、仕事も順調よ」

「そうかい。そうかい。それは良かった、私は周りの皆に助けられて元気にしているからね。心配しなくていいよ。今日はもう遅いから早く寝なさい、明日も仕事があるんだろ」

 

 

 

 

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