欅風-江戸詰侍青物栽培帖

欅風-江戸詰侍青物栽培帖

第53話 慈光和尚 人生行路その二  千恵との話

 

慈光和尚は波江の急に何かを思いだしたような顔を見て、話を中断した。

「どうかされましたか」

「いいえ、何でもありません。失礼しました」

波江は慌てて答えた。

「そうですか。それでは話を続けさせて頂きます。私は琵琶法師の話を聞いて、本当にそんな人がいるもんだろうか。自分の罪の身代わりになって全部赦してくれる神様がいるなら、信じてみても良いのではないか、と思いましたのじゃ」

波江は恐る恐る尋ねた。

「それで和尚様は信じたのでしょうか」

「いや信じるところまではいきませんでした。できるものなら信じたかった」

和尚は波江の顔を見ながら、続けた。

「私は悪性の強い人間です。多くの悪しきことを行ってきました。これは他でもない、私が重ねてきた悪事です。その悪事をいわば他人のイエズス様が私の代わりに全部背負って死んで下さった、などというのは余りに有難く、勿体無い話と思いました。・・・いや話がうますぎる、というのが本当の気持でした。

琵琶法師はキリスト教の真髄について親切に教えてくれましたが、私は人目も気になりましたので、礼を言ってその場を離れ、寺に帰りました」

ある朝、和尚から「無量寿経」を教えて頂き、毎日の朝のお勤めを終った後、和尚は難しい顔を私に向けて言われました。

「オヌシはバテレンの教えを伝える琵琶法師と話していたそうじゃな。檀家の者が教えてくれた。バテレンは表ではイエズスの教えを広めるなどと言っておるが、裏では大名達に武器弾薬を流している。いずれやってくる日本侵略のための露払いをしている死の商人じゃ。隣の中国でやっていることを見れば明らかなことだ。これからはバテレンには近づくな、よいな」

私は和尚からきつく叱られて、返す言葉もなく「申し訳ありませんでした。今後一切バテレンには近づきません」とやっと申し上げた。

「そうですか。それではその後はバテレンと会うことはなかったのですね」波江は話を切り上げる潮時かと思い、そっと和尚の顔を伺った。波江には何故和尚が自分の身の上話をイエズス様の名前迄出して迄、自分に語ってくれたのか、その真意を掴もうとしていた。

慈光和尚は答えた「会うことはありませんでした。しかし私は自分の悪性にその後も苦しめられました。そして私が最後に思ったことはこの悪性から逃げずに、悪性を見つめ続けようということでした。仏とは解けることなり曼珠沙華、という句がありますが、そう覚悟を決めたら、自分を縛っていた何かが解け落ち、それから私は浄土真宗の僧を目指すことになりました」

波江は聞いた。「和尚様はご自分の悪性を見つめ続けて、どのような悟りを開かれたのでしょうか」

和尚は答えた。「救いは御仏の御慈悲であり、私にできることはただただ念仏を唱えることだけです」そして最後に呟くように言った。最近の幕府のキリシタンに対するやり様は変ってきましてな、捕まえたキリシタンを簡単には死なせなくなりました。それはそれは惨たらしい拷問で、何日何日も苦しめるとか聞きました。見せしめですな。以前幕府は捕まえたキリシタンを火炙りとか槍で殺していましたが、キリシタンが喜んで死ぬ姿を見て、考えを変えましたのじゃ。何故そこまでキリシタンを目の敵にするのでしょうな」

 

波江はその晩、夕餉の後洗い物をしている千恵に声をかけた。

「千恵ちゃん。話があるの。洗い物が終わったらね」

千恵は手早く洗い物を済ませて、波江の前に座った。

「おばちゃん。お話って?」

「私達のこれからにとってとても大切な話なの。千恵ちゃんも知っていると思うけど、今

イエズス様を信じる人達があちらこちらでお役人に捕まえられて、苦しめられて、その挙句殺されているの。幕府はキリシタンを一人残らず捕まえて、根絶やしにするつもりなの。怖ろしい世の中になったわ」

千恵は聞いた。「それでおばちゃんはどうしようと思っているんですか。私、何を聞いても驚かないから、おばちゃんの本当の気持を聞かせてください」

波江は千恵の目を見た。

「千恵ちゃん。おばちゃんは心の中ではこれからもイエズス様を信じていくけど、世間的には慈光和尚様のお寺の信徒となって生きていこうと思っているの。どうしてそう思うようになったかと言うと、おばちゃんのこの世での務めは身寄りの無い子供達を守り、世話をして一人前の大人にしていくことだと考えたからなのよ。そのためにも、生きていかなければ、生き抜いていかなければならないわ」

「おばちゃん。本当のことを言ってくれてありがとう。私はおばちゃんが最近そのことでずっと苦しんでいるのではないかと思ってた。おばちゃん。イエズス様は神の一人子なのに人の世に来てくださって、貧しい人、病気の人、望みの無い人、頼るものの無い人、こころ細い人を、大切な人として扱ってくれて親身になってくださった。それなのに十字架に架かって罪人のように死んで行った。それは私たちの罪の身代わりなのだとお母さんは教えてくれた。だからね、おばちゃん。私たちのこころの中でイエズス様を信じ続けることは大切だけど、もっと大切なことは、イエズス様が身を持って教えてくださったように、世の中の日陰で生きている人々を助けるために生きること、働くことではないかしら、千恵はそう思うの」

波江は思わず千恵の手を取り、言った。「千恵ちゃん、そこまで考えていたの。ありがとう」

千恵は言った。「おばちゃん。私もおばちゃんと一緒に生きていきたい。死にたくない。天国のお母さんもきっと分かってくれると思うわ」

波江と千恵は家の外に出た。満天の星空に上弦の月がかかっていた。

「千恵ちゃん。星が沢山見えるわ」

千恵は星空を見上げ、一つの星を指差した。「おばちゃん。あれがお母さんの星。千恵はお母さんが死んでからいつもあの星を見てきたの」

波江がその星を見ると、何か咽ぶように、潤むように光っていた。

 

その晩、波江は夢を見た。イエズスが夢の中に出てきて、言った。「波江、あなたの決断は

私にとって裏切りではない。安心して生きなさい」

 

千恵も夢を見た。千恵の母の声がした。「千恵ちゃん。おばちゃんと一緒に生きていくのよ。おばちゃんはあなたのおかあさんよ」

 

母屋では京司と菊枝が言い争っていた。「おまえさん。もし波江さんがキリシタンだったら

私たちもただでは済まないよ。一体全体どうするつもり」

京司は答える。「まだキリシタンと決まったわけじゃない。なにか、おまえは訴えでるつもりか」「そうじゃないけど、心配なんだよ」「一切知らない、ということにするんだ」

 

翌朝、波江と千恵は慈光和尚の元に行った。波江の話を聞いた後、和尚は言った。

「それでは今日から波江さんと千恵さんは当寺の信徒、ということで良いでしょうか」

波江は答えた。「お心遣いありがとうございます。それではよろしくお願い致します」

寺を出て波江と千恵は直ぐに京司と菊枝のところに朝の挨拶に行き、寺の信徒になった

旨、伝えた。

 


第52話 新之助 店勤め

 

 

萩屋の主人、徳兵衛から新之助に萩屋で仕事をするにあたって話があった。

「戸部様の店でのお名前はお客様の手前もありますから、失礼かと存じますが新蔵とさせて頂きます。急ぎの時は新さんとお呼びすることもあろうかと思います。いかがでしょうか。立場は番頭の繁蔵の付き人ということでお願いします。毎日の仕事は繁蔵の指示に従ってください。繁蔵は律儀で商売熱心な男です。丁稚の時から私が手塩にかけて育てた番頭です。仕事は店先で売れたものの補充です。裏の蔵に良く売れるものを在庫していますので、店先と蔵の間を行ったり来たりして頂くことになります。食事は朝と昼と夜の3回です。店の者と一緒にお食べください。このような仕事ですから、食事の時刻は決まっていませんが、お客様の混み具合を見て、番頭さんと相談しながら食べる、ということでお願いします。いろいろ勝手が違うかもしれませんが、戸部様ならきっとお出来になると思います。」

新之助は萩屋の2階に寝起きする場所をあてがわれた。

ある朝早く萩屋を出て、新之助は町の様子を知るために近所を歩いた。呉服町から少し歩くと日本橋がある。早朝だというのに人通りが多い。日本橋の手前に開けたところがあり、左側に高札が立っていた。右側には青物と根物の市が立ち、人が大勢集まり賑わっている。

日本橋を渡り、室町通りを歩いていくと右に本小田原丁、その先に瀬戸物町があった。

更に歩いていくと右に入る細い露地があり、小じんまりとした稲荷神社が見えた。

神社の鳥居をくぐって新之助は手を合わせて祈った。

「これから荻屋で1年間勤めます。どうぞご加護がありますように。また故郷の三枝、八重を今日もお守りください」

室町通りを戻ってきた時、本小田原丁の魚屋の威勢の良い声が聞こえてくる。江戸前の魚介類が運河を通ってきた舟から次々に運び上げられている。日本橋を渡り、青物と根物の市場を覗いてみた。人だかりが凄い。売る方も買う方もまるでけんか腰だ。

その時、新之助はふと運河の傍ら、蔵屋敷の前に立っている高札を見た。キリシタン禁教令だった。高札には火炙りの処刑を受けている大勢のキリシタンの絵が貼ってあった。

新之助は以前幕府から狭野藩に「国々御法度」が伝達された時、その中に家臣団の中にキリシタンがいないかどうかの調査を指示する文面があり、家臣全員が調査を受けたことを思いだした。氏安は「これからは、キリシタンにとっては誠に厳しい時代になるであろう」と言って粛々と調査を実施し、幕府に報告した。

新之助は心の中で呟いた。

「秀忠様はこれから必ずやキリシタンの大弾圧を行うに違いない。隠れキリシタンの発見のために密告も増えることだろう」

呟いた後、新之助はなぜかふいに波江のことを思った。

「波江さんは大丈夫だろうか」

急いで店に戻り、朝の挨拶をした後、雑穀米の飯、味噌汁、大豆とヒジキの煮物、タクワンの朝食をとった。店で働いている者はアッという間に食事を終える。

店を開ける前に全員集まって番頭に合わせて萩屋商い十訓を唱和する。

1.お客様が店先に来られた時は、にこやかに挨拶すべし

2.お買いものの多少によらず丁寧に応接すべし

3.お買い物無く店を出るお客様にも愛想良く声をかけるべし

4.店の中では私語を慎むべし

5.お客様の言葉には忍耐を持って接すべし

6.店の中では木綿ものの簡素な、こざっぱりとした衣服を着用すべし

7.毎晩店内全員の人数を改め、印を集めるべし

8.博打、賭け事の類に手を出さざるべし

9.呉服物品々については日々知識を磨くべし

10.     有言実行を旨とすべし

店を開けると待ちかねたように客が入ってくる。萩屋では呉服物品々として足袋、帯、襦袢、肌着なども扱っている。

繁蔵の傍らに座っている新之助に次々に指示が出る。その都度、新之助は蔵の方に走っていった。蔵のどこに何が仕舞ってあるか、憶えたつもりだが、急いで探すとなるとなかなか見つからない。繁蔵が苛立って待っている。

繁蔵が遠慮なく言う。

「新蔵さん。もう少しテキパキ持ってきていただけませんか。お客様をお待たせしてしまいました」

夕食の後、徳兵衛が新之助に声をかけてきた。

「ちょっとお茶でも飲みませんか」

徳兵衛の部屋に入り、新之助は思わず言った。

「どうも足手まといになっているようで申し訳ありません」

「いやいや良くやってくださっています。誰でも初めは勝手が分かりませんから当然です。段々慣れていかれますよ」

そして本題に入った。

「商人はよく『なににつけても金のほしさよ』と言いますが、利を得なければ仕事を続けられませんし、また日々の生活も叶いません。細かい利を日々積み重ねていくのが商いでございます。そのためにはお客様にどうしたら買っていただけるか、日々勉強と工夫が大事です。日によっては殆ど売れないという日もあります。そこが商いの難しいところでしょうか。毎日が忍耐です。売れない日の次の日、沢山お客様が来られて、てんてこ舞という時もございます。私も長年商いをしてきましたが、商売の難しさ、深さ、怖さを日々思わされているところです。商人は店が傾いて没落することを何よりも恐れているのです。没落した店の主人一家の惨めな生活はそれはそれは酷いものです。

ところで新之助様には、お客様がどのようなものを好んで買っていかれるか、是非記録を取って頂きたいと思うのですが、やっていただけますでしょうか」

新之助は何か徳兵衛に考えのあることと思い、即座に答えた。

「承知致しました」

それから1ヶ月、新之助は繁蔵とお客の話に耳を傾け、繁蔵が次に何をお客に見せようとしているのか、お客が何を見たがっているのか、察知しようとした。ただ繁蔵の指示を待つだけでなく、いろいろな可能性を考えながら、そして「あれはあそこ」と見当をつけながら、待つようになった。

繁蔵が褒めたものだ。

「新蔵さん。蔵出しが早くなりましたね」

そして3ヶ月。店と蔵の間をテキパキと往復している新之助の姿があった。

新之助は毎朝早く起きて、蔵の中に納めている商品を箱毎に一つ一つ在庫を確認した。夜は寝る前に今日の販売実績を走り書き見ながら帳面に書き記した。販売実績の数字を見ているといろいろな発見がある。気がついたことを帳面の余白に記した。

4ヶ月目に入った時、徳兵衛が新之助に思い出したかのように聞いた。

「お客様はどのようなものを好んで買っていかれたのでしょうか」

新之助は手作りの表を徳兵衛に見せた。

「新之助様、さすがでございますな」と頷き、指でなぞりながら、数字を確認していた。ちょっと考え込むような表情を見せた後で言った。

「古着が少し減ってきています。お客様の懐具合が良くなってきたのでしょうか、新しい木綿の着物が増えてきています。おやおや幅が広めの帯が良く売れていますな」

徳兵衛はそれ以外のことにも気付いたのだろうが、後は頷くばかりで言葉にはしなかった。

新之助は狭野藩江戸家老宛に報告書を書いた。

「萩屋でのお勤めでいくつかのことが分かりました。思いつくままご報告します。

1.戦のない平和の世になったためでしょうか、江戸の人々は落ち着いて生活しています。物の流通が増えてきたためか町に活気があり、町人の懐具合も良くなっているようです。

2.萩屋のお勤めで気がつきましたことは、これからは町人相手の商いが大事かと

思います。小さな商いですが、毎日のことですので、チリも積もれば山となります。

大名売りは売り掛けが半年、あるいは1年となりますので、大口ですが、金が入って来る迄随分とかかります。

 

3.町人の中には少し贅沢したいという向きも出てきていますが、絹の着物というお客様はまだ限られています。今は品質が良く、模様が斬新な木綿の呉服が好まれているようです。

 

1. 商人は売れるものでなければ扱いません。売れるものをつくる、このために知恵を絞ることが肝要かと存じます。

 

5.最後に萩屋でお勤めしていて感じていることは、商人の忍耐強さと勤勉さです。また研究熱心なことです。店に出ている時はお客様に笑顔を絶やしません。

 

新之助は報告書の最後に、萩屋商い十訓を書き添えて報告書を締めくくった。

報告書は徳田家老宛に送られ、そのまま他の便と一緒に狭野藩の藩庁に転送された。

 

 

 

 


第51話 慈光和尚の人生行路 その一

 

 

慈光和尚は穏やかな笑顔で波江を迎え、本堂の隣の部屋に案内した。

「最近、檀家から新茶を頂きましてな。ついてはいつも寺の畑の世話でご苦労をお掛けしている波江さんとご一緒に茶を飲みたいと思っていたところです。お声をかけたいと思っていました。これも御仏のお導きでしょうか」

「こちらこそいつもお気にかけて頂き、本当にありがたいことでございます」

茶を飲んだ波江は思わず、

「美味しい・・・」

和尚は香のものを勧めた後、少し改まった表情で言った。

「今日は宜しかったら少し拙僧のつまらない話を聞いて頂けますでしょうか。私の恥さらしになりますが、若い頃自分の生き方でとても悩みました。自尊心が強いくせに、一方で何もかも自分が人に比べて劣っている。そんな風に思っていましたのじゃ。侍の家に生まれましたので、行く行くは親の跡目を継がなければならない。それもいやでいやでしょうがなかった。自分は自分の道を行きたい。親父とはよく喧嘩をしました。誰も自分の苦しみ、悩みを分かってくれない。自棄になりましてな。若気の到りというか、そんな時、私は家を出て、江戸に向かったのです。江戸に行ったら何か先が見えるかもしれない、と」

そこまで話して和尚は茶を啜った。暫くの沈黙が流れた。

「ところが予想だにしていなかったことが、私が家を出た後、起こりました。私の故郷は福山なのですが、台風が襲ってきた晩、山が突然崩れ、川の土手が切れ、洪水で家々は押し流され跡形もなくなってしまったのです。たった一夜で。私の両親も、住んでいた家も、秋戸千軒と言われた懐かしい町の人々も軒を並べていた町家もこの地上から完全に姿を消してしまったとのことでした。そんなことがあるものかと思いました。まるで神隠しに遭ったような気持でした。私は家のあったところを探し回りましたが、分かりませんでした。私は大地に突っ伏して泣きました。今は亡き両親に謝りました。・・・そんなことがありましたのじゃ」

「大変な目に遭われたのですね。和尚様はご兄弟はいらしたのですか」

「弟と妹がおりましたが、両親と一緒に流されてしまったようです。私も死にたいと思いました。砂浜で夕陽をぼんやり見ていた時、旅の僧が通りかかり、声をかけてくれました。

旅の僧は秋戸千軒が流されたことを知っていました。横に座って私の身の上話を聞いてくれました。旅の僧は、自分はこれから江戸に上る、よかったら江戸迄ご一緒しませんかと誘ってくれました。私は家を出る時、両親の金をくすねて江戸で放蕩しました。江戸ではあまり良い思い出がなかった。しかしもう宛てが無かったので、江戸に行くことにして、旅の僧についていきました」

「それで江戸迄行かれたのですか」

「いや江戸には入れなかった。江戸の手前の鴨宮で足が止まりました。旅の僧に事情を話して、私はここに留まります、と伝えました。旅の僧は私の目をじっと見つめて、南無阿弥陀仏と念仏を唱えてくださいました。『この世で生き抜くためには、称名念仏ができるような暮らしをすることです。南無阿弥陀仏と称えるだけで、何も特別なことはありません。いいですか、生きていてください。生き抜くことです。浄土に行かれたご両親も、ご兄弟もきっとそれを望んでおられることでしょう。』

旅の僧は鴨宮のあるお寺を紹介してくれました。浄土真宗のお寺で、丁度寺男が病で辞めたとのことで、その後に私が入りました。

その寺には畑があり、住職は寺男に農作業をさせていました。それで私も農作業をすることになりましたが、夏は暑く、冬は寒く、汚れるわ、臭くなるわで閉口しましたが、寺の和尚は「それも修行じゃ」と言うだけでした。何とか食べるものはあり、寝泊りするところができて、落ち着いた頃、私は度々夢でうなされるようになりました。高いところから暗い底に落ちていく夢でした。何度も何度も同じような夢を見たので、和尚に相談しました。和尚は『それはオヌシの罪業だな。このまま行ったら本当に暗い罪業の底、無限地獄に落ちてしまって、二度と浮かび上がれないかも知れぬな』と呟くように言ったのです。私は飛び上がらんばかりになって和尚に泣き付きました。和尚は、『自分の罪業に気がついた今この時こそ、阿弥陀仏がオヌシを呼んでいる声を聞くのじゃ。そして信心すれば救われよう』と言ってから阿弥陀仏の念仏を唱え始めました」

波江は聞いた。

「仏教にも救いはあるのでしょうか」

「話せば少し長くなりますが、黒谷の上人、法然様は、仏教は悟りの宗教ではなく、救いの宗教だと言われました。法然様は南無阿弥陀仏と称え、阿弥陀仏に全てお任せすれば、在家の悪人さえも必ず浄土に往生して仏となれる、と言われたのです。平家の重衡が奈良の大仏殿を焼いた後、訪れた上人に、自分のようなものも救われるかと聞いた時、上人は救われる、と答えられたと平家物語にあります」

「悪人とはどのような人のことを言うのでしょうか。罪人ということでしょうか」

「悪人とは、これは親鸞上人のお考えですが、『自分の悪性を自覚している者』いうことになります」

「多くの人々は自分の悪性も自覚していないのではないでしょうか。人はどのようにして自分の悪性に気がつくのでしょうか」

「多分それは自分の力ではできないことでしょう。御仏が教えてくださるのです。親鸞上人は自分の悪性をトコトン追及された方です。仏に背を向け、逃げようとする罪深い私を阿弥陀仏は後ろから抱きかかえてくださる、と言うのです。」

「それでは救いの完成はどこにあるのでしょう」

「親鸞上人は仏の智慧と慈悲は真実であるが、私はどこまで行ってもニセモノと考えました。そのようなニセモノの私が救われるのは、阿弥陀仏によって私に振り向けられた信心である。その意味では完成はあるが、そこに到る道は難信であるとも言われています」

「難信とは難しいことばですね」

「親鸞上人の称名は念仏を唱えるだけではなく、念仏を唱える自分の心を同時に突き詰めていくので、真なる念仏を称えることができるか、できているかが絶えず問題となります」

「難しいのですね。ところで和尚様はずっと鴨宮のお寺にいたのですか」

「私はまずは自分の救いのために仏の教えを学びたいと思い、和尚にお願いしました。和尚は、経典として「無量寿経」を選び、毎日朝のお勤めの後、私に教えてくれました。とても難解で当時の私の理解力をはるかに超えていました。その頃鴨宮にバテレンの教えを広めている琵琶法師がやってきました。和尚の使いで鴨宮の町に出た時、人通りの賑やかな市場の辻のところで大きな声で呼びかけていました。

「人は皆罪人じゃ。滅ぶばかりの罪人じゃ。そんな我らのためにゼウス様のお一人子、イエス様が我らの地上に降りて来てくださった。我らの罪をその身に担うために、我らの間に来てくださった。イエス様は我らの苦しみ、悲しみを知っていなさる。我らを救わんがため、十字架にかかってくださった。死に打ち勝ち、甦られた。イエス様を信じれば、我らは救われる。永遠の命に預かれるのじゃ。イエス様を信じよ。イエス様を信じよ」

琵琶法師は叫んだ後、通りかかりの人に諭すように言ったのです。

「私は平戸からイエス様を皆様にお伝えするために来ました。平戸から江戸迄説法をしながら旅をしていきます。どうぞ皆様イエス様を信じてください」

そう言ってから琵琶をかき鳴らし、平家物語「重衡被斬」を朗々と演じたのです。

演奏が終った後、人々は琵琶法師の前にそっとお金を置いていきました。

私は演奏の迫力にすっかり飲まれて、そこに立ち尽くしていました。いや、そればかりではなかったようです」

波江は平戸からきた琵琶法師と聞いて、心中「アッ」と叫んだ。

 

 

 

 


第50話 桑名村の建て直し その一

 

 

天岡は部下の池田篤馬を連れて桑名村に向かった。今回の狭野藩の立場はあくまで郡代の相談役と言う立場であった。郡代の澁谷達之進はいかにも役人風の男で、実力というより回りの引きで出世してきたような人物だった。口癖は「それは先例があるのか」「波風を立ててはいけない」「それはワシの責任ではない」であった。

天岡は郡代に挨拶をした後、桑名村各村の庄屋を回って歩いた。庄屋達には「桑名村建て直しのご下命を頂きましたので、是非ご協力頂きたい」と頭を下げて挨拶した。庄屋の中には「また無理難題を持ちかけてくるのではないか」と警戒する者も多かったが、天岡の丁寧な態度に好感を寄せる庄屋もいた。池田篤馬はそうした者達を一人一人記憶し、後で

覚帖に記した。

天岡は池田に言った。

「侍と農民との身分の違いはあるが、元を正せば同じ人間、役割がそれぞれ異なるということだ。誠意を持って接し、相手の身になって考えれば、こちらの思うところもきっと分かってくれる。池田、オヌシに一つ言っておきたいことがある。農民はお天道様の下で大地と共に、大地に根ざして生きている。人間はその大地に人間の力を加えて農産物の収穫を得る。大地は嘘は言わぬ。大地と共に生きている者は真実の生活をしている。そのような気持で農民と接することが肝要だ。良いな。それからもう一つある。「百姓は生かさず

殺さず」そのように大御所様が言ったと伝えられているが、飛んでも無い間違いじゃ。

大御所様は「百姓は国の宝だ」と言われた。生かさず殺さずは大久保長安殿が言ったとかで大御所様は「とんだ心得違いだ」と大久保をきつくお叱りになったそうだ」

天岡に命じられて池田は荷車に灘の酒を乗せて、庄屋を一軒一軒回って歩いて渡した。

「どうぞ寄合いの時にでもお飲みください」

 

天岡は桑名村に一ヶ月程滞在してから、狭野藩に戻ってきた。氏安と打ち合わるためであった。打ち合わせには叡基も同席した。桑名44村の建て直しについて更に詳しく打ち合わせ、方針を決める必要があった。

氏安が最初に口を開いた。

「御料地は徳川幕府を支える大土台である。御料地が栄えれば幕府も安泰だが、御料地の経営がうまく行かないようであれば幕府の将来に影が差すことになる。幕府は御料地を特別扱いにして、年貢も四公六民としている。我藩も四公六民であるが、多くの藩はそれではやっていけないとのことで、五公五民という藩が増えてきている。それどころかこれからは六公四民というところも出てくるやもしれぬ。

御料地では騒動とか一揆などはあってはならない、ということなのだ。このことはしっかりと胸に刻んでおいてもらいたい。良いな。

桑名44村については当然今後とも四公六民で行く。まずしなければならないことは米の生産石高を増やすことだ。毎年洪水で実をつけ始めた稲がそのまま腐ってしまう。そのため農民が「折角丹精込めて育てても今年もまた駄目かもしれない」そんな気持が先立って、農作業に力が入らないと風の便りに聞いた。

そこで叡基殿に長良川、町屋川、朝明川の三川が流れている肥沃な米どころで決壊しやすい堤防の嵩上げ普請をやって貰いたいのだ。普請にかかる費えは全額狭野藩で負担することになっている」

氏安は叡基にまっすぐに顔を向けた。叡基は即座に答えた。

「畏まりました。藩にとっては大変な負担になるでしょうが、桑名44村の農民のためにまた我藩の将来のために、全力で普請に取り組む所存です。前回殿から三方針が示された後、早速長良川、町屋川、朝明川と三本の川が桑名の地を通り、海に流れ込んでいるあたりを見て回りました。大川の嵩上げは川が一本でしたが、桑名44村には3本の川が流れています。従いどの川の堰堤から先に嵩上げをするか、決めなければなりません」

叡基は懐から絵図を出し、三本の川の位置関係と水田の分布状況を説明した。

「確かに大変なところだな。それで叡基殿の考えはどうじゃ」

「朝明川の海に近い右岸の嵩上げから始めるのが良いかと存じます。そしてその次は朝明川の左岸ということになります。ところで嵩上げに使う土は現地では手に入りません。二里程離れた山で土を採り、荷車で運んでくることになるかと存じます。町屋川の右岸地帯も米どころですが、嵩上げは大規模な普請となりますので、それは将来のこととなりましょう」

一呼吸置いてから、叡基は続けた。

「殿に一つお願いがあります。今回の普請のために土木測量に通じた者を一人、それから普請の費えの勘定ができる者を一人、私につけて頂きたいのです。大川の普請の時は幕府普請奉行所の方で図面と測量資料を作成していましたので、それに基づき普請を致しました。また費えの勘定もやはり幕府普請奉行所勘定係で行っていましたが、此度の普請では測量、それに基づいた普請段取り、人足及び資材の費えの勘定、記帳などを全部自分達で行わなければなりません」

氏安は答えた。

「相分かった。勘定方は藩庁から出すことにする。測量関係については叡基殿の方で当たってみてはくれぬか」

「お願いを聞き届けてくださり、誠にありがとうございます。それでは測量関係については早速当たることと致します」

氏安は続ける。

「米の生産石高を上げるためには洪水対策と併せて、農民の意欲を高めなければならない。

そのためには農民の生活を守り、豊かにすることが第一じゃ。御料地の年貢は四公六民だが、この比率を変えなくとも生産量を上げれば農民の取り分が増える。どのようにして生産量を上げるか、米の味をどうしたら良くできるか。味の良い米は当然値も上がる。

そして米の生産はその年の天候によって大きく左右される。年貢を毎年決められた通りに納めるためには、やはりイザという時の貯えが必要だ。農民も納得させながらどのように貯えていくか。このあたりのことは、難しいところだが天岡に知恵を絞ってもらいたい」

天岡は答える。

「仰せの通りです。桑名44村を回り、私なりに感ずるところ多々ありました。御料地の場合は、一にも二にも米です。米の増産で大事なことは、やはり品種ではないかと存じます。冷害、旱魃、病害虫に強い米が望まれるところです。我藩でも品種改良に努めております。狭山池から流れ出す川の流域では推古天皇の御世から稲作が行われ、米づくりでは長い歴史を持っております。しかしそれぞれの地域でその土地の気候風土に合った稲作が行われておりますので、次回訪問の際には桑名村の米づくりの名人に会う心算でおります。」

頷いて聞いていた氏安が黙って手で天岡の話を遮り周囲を見回した。

 

 

 


第49話 新之助 江戸商人になる

 

 

日本橋呉服町に「萩屋」がある。店主の徳兵衛は既に50歳を過ぎている小柄な人物だった。日本橋を渡ると本小田原丁だ。本小田原丁には繁盛している魚屋が数軒あり、江戸前の魚介類が毎朝店先に並べられ、威勢の良い売り子の声が途切れることがない。「萩屋」では新品の呉服だけでなく、古着も扱っていた。古着を扱うと新品の呉服が売れなくなると番頭の幸助が心配し、反対もしたが、店主の徳兵衛の決断で両方扱うことになった。

「新品の呉服を買えないお客様も古着だったら買うこともできるだろう。そして暮らし向きが良くなったら次は新品を買ってくださるかもしれない。私どもはお客様と長いお付き合いをするのだよ」

古着を買った客の中には店先に並んでいる新しい呉服に目をやり、「いつか新しい着物を買えるようになりたいわ。そのためには稼がなくっちゃ」と言うものもいる。

 

狭野藩江戸屋敷の徳田家老は当時江戸では数少ない薮内流の茶会で徳兵衛に会った。徳兵衛は温厚徳実を絵に描いたような人物で、徳田家老は「商人にもこのような人がいるのか」と心中驚き、茶会の後、料亭に誘い、酒食を共にするようになった。徳兵衛には茶道に通じた武士のような雰囲気があった。

 

徳田家老は藩主の氏安から、密命を受けていた。それは狭野藩の生糸の販売先を江戸で開拓せよ、というものだった。二代将軍になってから藩が外国と直接貿易することを禁止する動きが出てきている。狭野藩の財政を支えている、外国貿易は早晩できなくなるだろう。今まで外国貿易向けに生産していた生糸の新しい販売先を確保しなければならない。それには人口が50万人以上に膨れ上がり、大きな市場に成長した江戸を相手にしよう。

氏安は、天岡と何度も話し合い、決断した。話し合いの中で天岡は次のように進言した。

一つ目。外国貿易の場合は生糸を輸出していたが、江戸向けには模様を施した絹布で販売してはいかが。絹布にすれば、それだけ単価が上がり、量の減少分を補うことができる。

そのためには江戸に狭野藩の息のかかった呉服店を確保して、狭野藩の模様入りの絹布を一部売らせて貰う。模様は流行り廃りがあるので、江戸の模様師でこれはという人物を見つけて指導をお願いする。江戸のお客の好みを直接知るためにも呉服屋に狭野藩の者を住み込みで働かせる。

二つ目。今迄生糸が産品の中心になってきたが、これからは平和の世になり、人々の暮らしも変わっていくだろうから、江戸向けに絹布の他に販売できる商品を開発する。その第一として、栽培が軌道に乗ってきた薬草の販売を江戸の薬種問屋向けに始める、というものであった。

氏安は天岡に「誰を呉服屋に派遣したら良いと思うか」と尋ねた時、天岡は即座に「戸部が良いかと考えます」と答えた。

「戸部にそのような役目が務まるだろうか」

「戸部は江戸詰めの経験がありますし、最近酒を酌み交わした時、『俺は商人に関心がある。

どうも武士道と同じように商人道、とでも呼ぶべきものがあるようだ。折れた屏風のような商人ばかりではない。』と言っておりました。

 

氏安は即座に新之助を呼んだ。

「・・・ということであるが、この役目引き受けてくれるか」

新之助は平伏して言った。「お役目、謹んでお引き受けさせて頂きます。」

そう言った後、新之助はこんなことを言った。

「商人になるためにはそれなりの姿形が必要でしょう。髷を切り、前掛をして、江戸町人言葉を覚えなければなりません。木賀才蔵が3年間農民に成り切るために髷を切り、名前を才吉に改めたように、私も商人に成りきります。また名前も変えたいと思います。」

「よくぞ、申してくれた。ワシは良き部下を持って幸せだ。江戸で働く呉服屋が決まったら直ぐに出立するように」

新之助は下がっていった。

 

さて二つ目のことだが、「薬種問屋向けの開拓は誰にやらせたら良いかな」と氏安が宙を見つめ呟いた時、天岡は

「もし宜しかったら、そのお役目私にさせていただけないでしょうか。大阪の薬研掘の薬種問屋経由江戸の薬種問屋に当たってみる所存です。幸い我藩の薬草は大阪の薬種問屋では高く評価されていますので、紹介してくれるものと存じます」

氏安は微笑を浮かべて、

「限られた年数とは言え、二人の武士の髷を切らせるとは、誠に申し訳ない、そんな気持じゃ」

 

新之助は帰宅後、三枝に伝えた。

「ワシは藩の絹布を江戸で売るため、また江戸に行く。今度はそうは長くならないだろう。

殿からは1年間と聞いている。これは藩命なのだ」

三枝は暫く下を向いて黙っていたが、顔を上げ、

「・・・分かりました。それで何時江戸に行かれるのでしょうか。1年はアッという間でございましょう。どうぞ藩のお役目に打ち込んでください」

三枝の言葉を聞きながら、新之助は思っていた。

「これでまた江戸の才蔵、郷助、そして波江とも会える」

 

お稽古事から帰ってきた八重に三枝が話している。八重の泣き声とそれをたしなめる三枝

の声が聞こえてくる。

泣きはらした目で八重が新之助のところにやってきた。

「父上、母上から聞きました。お身体に気をつけて、大切なお役目にお励みください。八重は母上と一緒に、家を守っております」

 

その時、新之助の心の中に、1年間と雖も自分の家族に寂しい思いをさせることになるのだ、不意にこみ上げてくるものがあった。

「三枝、八重。苦労を掛ける。寂しい思いをさせて済まない」

新之助は三枝と八重に頭を下げた。

 

徳田家老が氏安に「萩屋」徳兵衛のことを報告し、承認を得た後、徳田家老は徳兵衛を料亭に招き、事の次第を話し、正式に頼んだ。

「分かりました。狭野藩は大川の洪水対策を立派にやり遂げられ、私達江戸に住んでいる者も台風の時でも安心して過ごせるようになりました。私どもで何かのお役に立てるなら

喜んでお手伝いさせて頂きます。」

快諾してくれた。

徳田家老は叡基の奮闘、職の無い者、孤児達が堰堤の踏み固めで大勢集まり食べ物を振舞われたことが、江戸の評判になったことを思いだした。

「良き仕事をすれば、良き縁が拡がる・・・というのは本当じゃな」

 

新之助は江戸小田原町近くの呉服店「萩屋」で働くことになった。

立場は番頭付きの使用人だ。

 

 

 


第48話 波江の苦悩と逃れの道

 

 

ある月も雲に隠れた晩、波江は戸にシンバリ棒を掛けるために土間に下りた。その時、人の慌しい足音が聞こえた。波江の住んでいる離れの近くに人がいるらしい。波江はそっと戸を開けて、外を覗った。誰もいない。外に出てなお確かめようとした時、家の影に蹲っている人の姿があった。足を怪我しているようだ。

波江は聞いた。「大丈夫ですか」

男は「大丈夫です。」そう答えながら周囲を見渡している。

向こうの方で声がする。「キリシタンが逃げているぞ。早く見つけろ。このあたりにいるはずだ」

男はその声に弾かれるように立ち上がり、逃げ始めた。

波江は思わず声を挙げかけたがたが、そのまま呑み込んだ。家の中には千恵がいる。

男は足を引きずりながら、走り去った。波江はすぐ家の中に戻り、戸を閉め、シンバリ棒を掛けた。

暫くして追っ手が殺到して来た。

じっと耳を澄ましていた。遠くの方で大きな人声がしている。

波江は思った。「捕まったのかもしれない。私はどうして助けようとしなかったのかしら。」

 

その晩、波江は寝付けずに自問自答していた。そして明け方近くに眠りに落ちた。

夢の中に出てきた人がいる。

「先ほどあなたが見たのはキリシタンだ。彼は逃げている。まだ捕まってはいない。私は彼が捕まらないことを願っている。捕まれば佐渡金山に送られ、生涯陽の光を見ることはないだろう」

波江は思わず聞いた。

「あなたはどなたですか?」

その人は答えた。

「私はあなたとともにいつもいるものだ。それ以上の答えはない。ところであなたに話しておきたいことがある。

あなたはキリシタンだ。先ほどのキリシタンのように、あなたがキリシタンであることが世間に知れたら、あなたは捕まる。千恵とも別れなければならない。」

「それは私がいつも恐れとして胸の底に抱き続けていることです」

「京司さんも菊枝さんもあなたを匿ったという理由で厳しいお咎めを受けることになるだろう。あなただけの問題ではなくなる」

「あれほどお世話になったのですからご迷惑をお掛けすることは本当に申し訳ない気持で一杯です」

その人は言った。

「近い内にこの地域全体の住民に対し、取調べが始まる。この集落ではあなたがお世話になっている隣の寺の慈光和尚が取調べを担当することになった。和尚はあなたの身を案じている。そしてあなたがキリシタンではないかと感じている。疑っているのではないのだ。心配し、案じているのだ。」

波江は聞いた。

「それでは私はどのようにしたら良いのでしょうか」

その人は聞いた。

「あなた自身はどうするつもりでいるのか?」

波江は答える。

「私は主のお名前を否むことはできません。しかしキリシタンであることを告白したら私の周囲の大切な方たちに大変なご迷惑をお掛けすることとなります。私はこの二つの思いの中で引き裂かれています。私には誰も悩みを打ち明け、相談する方がおりません・・・

しかし、私は主のお名前を否むことはできないのです」

その人は優しく、波江に諭すように言った。

「私はあなたに生きていてほしいのだ。あなたは知っているだろう。ペテロは三度、最後は呪いまでかけてイエスを知らないと言い、裏切った。十字架に掛かった時、ヨハネ以外の弟子は恐れて逃げ去ってしまった。・・・私を否んだのだ。」

波江は夢の中で小さく叫んでいた。

「主よ。私にも同じようにせよ、と仰るのでしょうか」

「私はあなたに生きていてほしいのだ。誰も入ることのできないあなたの心の中で私を信じ続けてほしい。あなたの心の中までは誰も支配することはできない。あなたの心は自由なのだ」

「主よ。それでは今迄、あなたの御名を告白して、殉教の死を遂げた人々に私は何と言って申し開きをしたら良いのでしょうか」

その人は言った。

「波江。私にはあなたのために立てている計画があるのだ。いずれ私のために死ぬ時が来る。しかし、今がその時ではない。私はあなたに生きていてほしいのだ。私のために今迄数え切れない人々がこの地上で殉教の死を遂げた。その死を私が悲しまずにいたとでも、波江、あなたは思うか。私はそのようにして死んだ人々を私の栄光を持って天の御国で迎えた。しかし私が願うことは、この地上で神の国を広げることなのだ。この地上で人々が幸せに生きられるようにすることなのだ。あなたにとってこの道は困難な、茨の道となるだろう。だから私はあなたがどのようなことがあっても、私がいつもあなたとともにいるということを信じることができるよう、あなたのために祈り続ける」

波江は聞いた。

「主よ。それでは私はどのようにしたら良いのでしょうか」

その人は答えた・

「波江よ。あなたは慈光和尚のところに行きなさい。そしてこう言うのです。『私に浄土真宗の教えを学ばせてください』と。親鸞は仏教の立場で、私の教えにとても近いところにいる。これから徳川幕府はキリシタンを根絶やしにしようとしている。だから、あなたにはこの弾圧が吹きすさぶ厳しい時代を生き抜いてほしいのだ。この世にあっては浄土真宗の信徒として生きなさい。千恵にもそのように話しなさい。千恵は分別のある子です。きっと分かってくれるはずです」

波江は答えた。

「主よ。お言葉の通りに致します。あなたがいつも共に居てくださることを信じるために

私もいつも心の中で祈り続けます」

 

翌朝、波江は朝の畑仕事の前に、早朝のお勤めを終えた慈光和尚の元を訪れ、朝の挨拶をした。

慈光和尚は言った。

「あなたの来るのをお待ちしていました」

 

 


第47話 才蔵 武士の身分を返上

 

才蔵は江戸下屋敷の徳田家老からの手紙を受け取った。文面には「1週間以内に江戸下屋敷に来るように」と書いてあった。才蔵は郷助の家族と暮らすうちに、自分は武士ではなく農民になった方が良いのではないかと思い始めていた。才蔵は気の病からは一生解放されないのではないかと諦めていたが、郷助の畑で次郎太と一緒に農作業をしているうちに、いつの間にか心の空の厚い曇り空が薄くなり、青空も見え、陽射しが入ってくるのを感じるようになっていた。生まれて初めて、「生きているとは嬉しいことだ」と思えるようになってきた。次郎太が最近、昼飯を食べている時に「才蔵さん、こんなことを言っては失礼かもしらんが、最近の才蔵さんはとても明るくなって、笑顔も増えただ」嬉しそうに言ったものだ。

「もしそうなら皆さんのお陰です。死にぞこないの私を受け入れてくれて、家族の一員のように大切にしてくれて、しかも農作業まで教えて頂いている。本当に感謝しています」

「才蔵さんは頭も良いし、学問もあり、いろいろ難しいことを知っている。物事を深く見つめることもできる。だどもあまり自分を見つめすぎない方が良いと思うだよ」

「次郎太さん。私はいつも自分のことを考え、考え過ぎてしまうんです。」

「何をいつも考えているだ」

「自分の弱さ、自分には生きる力、何が何でも生きぬいていこうという気持が欠けているのではないかと。どうしたらそのような力が持てるものか、最近はそのことばかり考えているんです。」

「才蔵さん。生きていれば辛く、悲しいことは付き物だ。思っても見なかったことが身に降りかかってくる。俺も戦さで両足を無くした時、死のうと思った。しかし、一緒に戦さに出た太郎吉さんが、俺を背負って「次郎太、村迄連れて帰るぞ。きっと助かる、死ぬなんて思うなよ」ずっと声をかけ続けてくれたんだ。俺は傷口の激しい痛みで気を失いかけていたが、太郎吉さんの背中の温かさはずっと感じていた。そして家に帰ってから兄やんが俺のことを大切な家族と言ってくれて、俺が働けるように車椅子まで作ってくれた。俺の命は自分だけのものじゃない、皆のものでもあるんだ。であれば、自分の命は皆の命とつながっている・・・心底そう思った。」

「ということは私の命は私だけのものではない。私の命は次郎太さんの命、郷助さんの命ともつながっている、ということでしょうか」

「そうさ。そしてもし俺が死んでも俺の命は孝吉の命の中で生きていく、と俺は思っているだよ」

「そうですか、そういう考え方もあるんですね」

「考えというより本気でそう思っているだ」

「本気ですか・・・そういえば私は本気になる、という経験もしたことがなかったかもしれない。いつも中途半端だった。半気だった」

「才蔵さん。本気になるためには自分で被っている殻を破らなければならないだよ。才蔵さんは今迄の人生、結局は人に決めて貰ってきたのじゃないかな。自分で自分の人生を決めることが大事だし、才蔵さんは今その時期にきているのかもしれないね」

「そうかもしれません。」

才蔵は徳田家老の手紙に対する答えを見つけたような気がした。

 

才蔵は板橋の江戸下屋敷に出向いた。

徳田家老が出てきた。「木賀、元気そうだな。まあ、中に入れ」家老は木賀の頭から足迄を

見た後、「生き返ったようだな。何か土の匂いもする」

「その節は大変ご迷惑をお掛けしました。お蔭様で元気になりました。今は郷助さんのところで畑仕事と作業所の仕事を手伝っております。」

家老は少し改まった表情になって、言った。

「そうか。それでは下屋敷にそろそろ戻ってこんか。」

「ありがたいお言葉ですが、少し考えさせていただけないでしょうか」

家老は訝しげに「何か問題があるのか」苦虫を噛み潰したような不機嫌な表情に変った。

今迄の才蔵であれば、相手の表情に押されて本能的に自分の考え、気持を取り下げていた。

才蔵は自分を励ましながら、言った。

「私は郷助さんのところで生活しながら、そして働きながら、身の程ということを知りました。そして自分には何ができるかということも。しかし未だ途中です。まだその意味では修行中です。誠に勝手ながら、私は今の生活と仕事を続けたいと思っているのです」

家老は呟くように言った。「このまま行ったら木賀は農民になってしまうかもしれないな」

「私は農民と一緒に生活し、働いているうちに、自然の中で生きるとはどんなことか分かってきたような気がします」才蔵は穏やかに言葉を返した。

徳田家老は「実はな」と言って一杯茶を啜った後、「我藩の改革は順調に進んでいる。藩の財政も好転し、活気が出てきた。幕府の普請、大川の堤防の嵩上げ、大阪城真田丸の清掃も無事終り、今は桑名村44村の立て直しのご下命を賜り、始まったところだ。

ついては殿から藩の改革を進めるための人材を幅広く集めよ、との仰せがあった。木賀は

我が藩きっての秀才との誉れが高い。殿もそれを知っておられる。今回のお話は殿から出たものなのじゃ」

「ありがたい思し召しでございます。そうであれば私も本当の気持をお話させて頂きたいと思います。今の私ではまだ使い物にはなりません。あと5年、せめて3年のご猶予を

いただけないでしょうか。」

家老は才蔵の顔を見て、諦めたように言った。「決心は固そうだな。殿にはそのまま伝えよう。それでいいな」

「この度も家老様にはご迷惑をお掛けします。なにとぞ私のわがままをお許しください」

 

「もう下がってよい。明日、国許の殿に文を送ることにする。覚悟をしておくことだ」

 

才蔵は下屋敷の誰とも会わずに、そのまま郷助の家に戻った。次郎太は畑に出ていた。

野良着に急いで着替え、畑に向かった。次郎太は手を使って畑の畝間を歩いていた。

「今年も虫が多く出ている。今日は夕暮れ迄、虫取りだよ」

才蔵は畑の上の青空を仰いだ。

「そうだ。私はこの青空の下で、畑の風に吹かれながら生きていくのだ。それ以外に望む

ことなどないのだ。殿からどのようなお叱り、さらには沙汰を受けるか、分からないが

私は私の道をこれからは生きていくのだ。

畑の中の虫も雑草も明日はどうなるか分からないのに、悩むことなく今の命を、今日という日を生きている。」

次郎太は最近農作業をしながら歌を歌っている。呟くような歌声なので言葉までは分からないが、単調な疲れる仕事を励ますような歌だ。

「次郎太さんは、歌が好きなんですな。私などは歌ったことなど今迄の人生で無かった」

「歌うと力が出てくるだ」

 

2週間後また下屋敷から呼び出しがあった。

徳田家老の前に出ると、穏やかな表情で家老は言った。

「殿は木賀のわがままを聞いてくださった。その代わり、これからの3年間、武士の身分を返上して農民に成り切れ、との仰せじゃ。そして3年後、使い物になって藩に戻って参れ、国許の木賀の母親の生活は藩で面倒を見る、とのお言葉であった。」

「ありがたき思し召しでございます。これから3年間、励み、お役に立つような人間になりとう存じます」

「木賀、殿は厳しくも、心優しい方だ。元気に励め。郷助の方にはワシの方からも引き続き木賀が世話になることを伝えおく。」

 

その日の晩、夕餉の後の才蔵はこれからも世話になりたい旨、郷助と次郎太に伝えた。

二人は喜び、「ワシらの方からお願いしたいくらいですだ。これから3年間才蔵さんと

一緒に暮らし、仕事ができるだな」

「私は武士の身分を返上します。ついては名前は才蔵ではなく、才吉と読んでくだされ。

明日の朝、髪も切り、坊主頭になります。今迄は自分の中に甘えがあって、正直腰掛の

ような気持がありました。明日からは性根を入れて働きます。何か、気がつくことがあったら遠慮なく言ってください。」

 

その晩、才蔵は国許の母親のことを久しぶりに思った。父親が戦さで亡くなった後、母は

女手一つで自分を育ててくれた。学問が出来る息子ということで母の期待は大きかった。

「母さん、学問ができるだけでこの人生は生きていけないということが分かりました。

 随分遠回りしているようですが、待っていてください」

 

「才蔵さん、湯が沸いただよ。入ってくだせえ」タケの声に才蔵は我に返った。

「タケさん。それでは先に入れさせて頂きます」

 

 

 

 


第46話 氏安 叡基の寺を訪ねる

 

 氏安は江戸城登城の一件を叡基に伝えるため、叡基の住む寺に向かった。使いの者を事前に送り、訪問の件を伝えていた。叡基は氏安と伴の者を認めると、出迎えに道を降りてきた。

「わざわざお越しくださるとは恐縮に存じます」

部屋に通された氏安は簡素だが、すがすがしい趣きに思わず言った。

「風の通る、気持ちの良い部屋ですな」

「風とともに生きる・・・というのが私の好みでして、大工にわがままを言いました。殿のお計らいで、私などには勿体ない寺で日々暮らしております」

氏安はおしのが運んできた茶を飲んだ後、居ずまいを正して、叡基に言った。

「この度の江戸城登城にあたっては、叡基殿から貴重な助言を頂きました。土井利勝様にお会いし、さらには上様にもお目通り致しました。

その際、伊勢の国 桑名郡代の相談役を命ずる、とのご下命がありました。早速そのために桑名に天岡他2名を派遣しているところです」

「無事のお帰り、何よりでございます。江戸城登城、いかがでございましたでしょうか」

氏安は言った。

「この度は上様に直々に拝謁致し、親しくお言葉をかけて頂きました。前回の登城は新しく藩主になった時でご挨拶のみでした。」

「そうでしたか。それは良うございました。ところで上様はどんなご様子でしたか」

「とてもお元気そうでした。ところで叡基殿は何か気になることでもあるのでしょうか」

「私の見るところ、上様はこれから徳川の世が磐石になるよう私たちが思っても見ないような苛烈なことを次々となさることでしょう。守成という言葉を殿はご存知のことと思いますが、2代目、3代目で政権は強くもなりますし、また崩壊の道を辿ることにもなります。上様は戦上手とは言えないかもしれませんが、政事については上手どころか恐ろしい方です。鎌倉幕府、室町幕府、そして秀吉様の五大老制度から多くのことを学ばれているはずです。大御所もそのことを見抜いて、秀忠様を二代目将軍にしたのでしょう。狭野藩も上様の苛烈さを受け止めていかなければなりません。

上様は『小を持って大を制する』という今迄にないやり方をとっておられます。つまり譜代の小藩から優秀な藩主を登用し、幕閣に入れておられます。土井様も、酒井忠世様も、安藤重信様もいずれも十万石に満たない小藩の出です。その中でも、この度殿が会われた土井様は幕藩体制の基礎を固めたと言われる御方です。一国一城令と武家諸法度の起草者と噂されています。小藩出身の幕閣であれば、政権簒奪の野心など持つはずもなく、徳川家は幕閣の背後で、いや幕閣を通じ、全てを支配する力を得たのです」

氏安は呻くように言った。

「上様は聞きしに勝る怖ろしい方ですな」

「そう思って間違いないでしょう。これは私が噂で聞いたことですが、土井様は上様の異母兄弟ではないかとのことです。大御所が築山殿ではなく他の女性に手を出し、生ませた子ではないかと。とすれば徳川幕府は秀忠様と土井様のお二人の兄弟によって政事が行われている、ということになります」

氏安はハッと気づいたように言った。

「この度、土井様と上様のお二人にお会いしたということは誠に意味のあることだったのかもしれませんね」

叡基は言った。その声には明るさと重々しさがあった。

「殿のお考えの通りです。桑名44村の御料地の立て直しが幕府に対する大きな試金石となります。

但し、余りにそのことを意識されてはいけません。今迄と同じように殿らしくあってください。萎縮迎合することなく、お励みくだされば良き結果がついてくることでしょう。私も殿をお支えしたく、お使い頂ければと存じます。」

氏安と叡基は話終えた後、庭に出た。おしのが畑で青物の手入れをしていたが、立ち上がって氏安に深く頭を下げた。

叡基はおしのに声をかけた。

「おしの。このあたりを殿と一緒にゆるりと歩いてくる。ゲンを連れていく」

柴犬の仔犬ゲンに叡基は声をかけた。

 

二週間後、江戸から一時戻ってきていた戸部新之助、桑名から戻った天岡、そして叡基が、氏安の部屋に集まっていた。

この度のご下命、桑名44村の立て直しのための協議であった。

氏安は三人に伝えた。

「幕府から桑名44村の御料地の立て直しのご下命があった。今迄我が藩で行ってきた様々な改革を参考にしながら、桑名44村の立て直しの案をまとめてほしい。

第一に、ただ結果だけを出せば良い訳ではないことは貴公たちも既に承知していることと思うが、改めて言っておく。幕府からは二年間の猶予を頂いている。基礎からの立て直しなのだ。そうでなければ長続きしない。そのために、桑名の農民、職人・工人、漁民、そして商人の仕事への意欲を高めることだ。桑名には桑名に合ったやり方があると思う。

第二に、桑名の特産物の開発に力を注ぐことだ。狭野藩と異なり、桑名は海に面しているので海産物も期待できる。遠浅の海は特に蛤に適しているそうだ。また尾張名古屋という大きな市場も控えている

第三に、洪水対策だ。桑名は長良川、町屋川、朝明川と三本の川が桑名の地を通り、海に流れ込んでいる。問題の箇所は長良川、町屋川に挟まれた福江地区で、ここの洪水対策が重要となる。この地区は土が肥えていて、米どころなのだ。信玄公の桜堤なども参考にして、氾濫を抑えるだけでなく、利用することを考えてみてほしい。

 

氏安からの基本方針を聞いた後、三人は毎日のように協議を重ねた。

 

一方江戸城本丸では、秀忠と土井利勝が密談している姿があった。

「氏安は桑名44村の立て直しができるかの?」

土井が答える。

「氏安には良き部下がおります。きっとやり遂げることと存じます。」

「首尾よくやり遂げたら、使えるかもしれんな」

「仰せの通りです。伊達藩、加賀藩、薩摩藩にとってもまたとない牽制になりましょう」

「もし不首尾に終わるようなことがあれば、今度こそ取り潰しとする」

「承知致しました。」

土井利勝との密談の後、秀忠は庭に出て、空を見た。城の屋根に囲まれ狭い空だった。腰をかがめて、土の上を歩いている蟻を見た。

「氏安は活き活きとしていた。藩の政事がさぞかし遣り甲斐のある仕事なのだろう。部下とも心を通い合わせているようだ。それに比べ、ワシは政事を義務のような重い気持ちでやっている。大名たちは、ワシのことを大御所の七光りで将軍になったと、心の底で侮っているのだ。ワシは政事の鬼になる。臆病で、慎重で、かつ真面目過ぎると言われるワシが鬼になれるものか。いや、どうしても鬼にならなければならないのだ」

最後は自分にそう言い聞かせながら、秀忠は蟻の一匹を指で押しつぶそうとした。しかし

蟻は一瞬の隙を突き、庭の草の中に逃げ込んだ。

秀忠は思わず苦笑いをした。

 

 


第45話 氏安 幕府に呼び出される

 

大阪城真田丸の片付け普請の後、幕府からの下命はなく、氏安は平穏の日々を送っていた。しかし心中では「このまま何も無いということはないだろう」と思っていた。

そこへ幕府から、直ちに江戸城に来るようにとの書状が届いた。署名は「老中 土井利勝」となっていた。

書状を読み終わった氏安は江戸城参上の趣きが書かれていないことで、一層不安を募らせていた。「何かお咎めがあるのだろうか」

書状が来た以上は一刻も早く参上しなければならない。

氏安は飯野家老と二人の家老を呼び、土井利勝の書状の内容を伝えた。家老三人は顔を見合わせ、「一体何事であろうか」互いに言い合った。

氏安は言った。

「何もお咎めを受けるようなことは、我が藩はしておらぬ。しかし、相手のあることだ。幕府が当藩をどのように見ているか、本当のところは分からない。いずれにしても直ぐ参上しなければならない。それこそ参上が遅れればお咎めを受けかねない。江戸城参内の準備を直ぐにするように。また江戸の徳田家老に早飛脚を出し、ワシの江戸行きを伝えるよにしてほしい」

 

その晩、叡基が氏安の部屋に密かに呼ばれた。氏安は江戸城参内の件を話した。

「叡基殿。この呼び出しをどのように受け止めたらよいか、貴公の考えを聞かせていただけませんか。」

叡基は諸国を歩き、改易に合った藩の様子を知っていた。叡基は暫く考え込み、そして口を開いた。

「今、殿はどのようなお気持ちでおられますか」

「正直、不安だ。恐れる気持ちでいる」

叡基は言った。

「適度に恐れる気持ちが必要です。殿もご承知の通り、福島正則様は豊臣恩顧の大大名でした。そんなこともあり、心の底で徳川幕府を、また秀忠様を侮るというか、見くびる気持ちがあり、それが言動に微かではありますが、出たのではないでしょうか。外様大名の中で最初に改易を受けました。恐れる気持ちを心の底に持つことが大事です。しかし、恐れ過ぎてはなりません。秀忠様を敬愛しつつ、慎ましく恐れる、という心構えで臨まれたらいかがでしょうか。予断を持たず、全てのことに有り難き仕合わせ、という気持ちで向き合うのが良いかと思います。

土井利勝様は公正な人柄と聞いております。」

氏安は微笑みながら答えた。

「叡基殿。良く分かりました。これで私の気持ちも落ち着きました」

「差し出がましいことを申し上げました。それではこれで」

叡基が部屋から出て行った後、氏安は早雲寺殿二十一か条を読み、そして三国志演義を開いた。毎日の日課をその晩も守った。

 

次の日の午後、氏安は伴の者10名と伴に騎乗で江戸表へと向かった。大阪の久宝寺町の宿舎で、氏安は天岡と会い、短い話をした後で、休息も取らず、京都に向かった。少しでも早く江戸に行かねばならぬ、その思いだった。

 

二週間後、狭野藩江戸上屋敷で徳田家老と密談している氏安の姿があった。

徳田家老は不安な表情を隠さないで言った。

「上様は幕藩体制を磐石のものとするため外様、親藩、譜代の別なく改易をするお方であると噂されております。このことだけは胸にお納め頂いて、参内頂きたく存じます」

 

翌朝、氏安は徳田家老を伴って、江戸城本丸に上がった。通された部屋で待っていると、暫く経ってから、老中 土井利勝が入ってきて着座した。

氏安は恭しく挨拶をした。

「北条氏安でございます。この度はお呼び出しを頂き参上致しました。」

「氏安殿、土井利勝です」

土井利勝は、若い藩主の氏安にまっすぐに目を向けた。

「過日の大川の修復、また大阪城の真田丸の普請、立派にやり遂げて頂きました」

氏安は答える。

「有り難き仕合わせに存じます」

平伏して顔を上げた氏安に向かって、土井利勝は、氏安が思っても見なかったことを言った。

「氏安殿。幕府は現在大阪夏の陣の後、日本各地に多くの御料地を持っている。その御料地の経営に力を入れたいのだ。御料地の石高を合わせると優に400万石近いであろう。この御料地が幕府の財政を支える基盤となっている。ご承知の通り、御料地には郡代が置かれ、その下に代官がいる。

ところで最近、伊勢国の美濃郡代の御料地、桑名44村の石高の減少が続き、由々しき事態となっている。そこで氏安殿にこの御料地の立て直しをやって頂きたいのだ。よろしいかな」

土井利勝は穏やかな口ぶりだったが、幕府の決定を伝えた。

「郡代、代官は現在の者達に引き続きやらせるので、相談役という立場でお役目を努めて頂きたい。貴藩から派遣する人数は5名までとする。5名に掛かる費えの半分は御領地持ち、残り半分は狭野藩持ちだ。2年間で石高の増加を実現するように。以上である」

氏安は平伏し、

「有り難き仕合わせ、全身全霊でお役目を努めさせて頂きます」

 

土井利勝は暫くお待ちくだされ、と言って部屋を出ていった。

氏安と徳田家老は口を開かず黙して待っていた。壁に耳あり、二人の目はそう語っていた。

 

ややあって土井利勝が部屋に再び入ってきて、言った。

「上様にお目見えである」

氏安は土井利勝に伴われて秀忠の前に出た。

「そちが北条氏安か」

氏安は平伏して挨拶した。

「氏安でございます。上様に拝謁賜り恐悦至極に存じます」

秀忠は無表情のまま言った。

「御料地の経営、頼んだぞ」

氏安はもう一度、秀忠の顔を見た後、平伏し

「畏まって存じます」

 

土井利勝に伴われて徳田家老が待つ部屋に戻った氏安は土井利勝に深く頭を下げて、江戸城を後にした。

 

江戸上屋敷で待機している氏安の元に幕府から書状が届いた。

「伊勢の国 桑名郡代の相談役を命ずる」

徳田家老から、伊達藩、加賀藩、薩摩藩にも御料地の経営にそれぞれ当たるようにとの

下命が出ていることを知らされた。

 

氏安は帰国後、早速伊勢の国に天岡他3名を送った。3名は郡代に挨拶の後、44村を回った。

 

 


第44話 郷助、次郎太と孝吉と才蔵に青物市場談話

  

郷助は作業所の建設が一段落した後、青物市場について話しておきたいと夕餉の後、三人を集めた。次郎太、孝吉、才蔵を前にして、郷助は話し始めた。

「今迄、俺がやってきたことを三人に話しておきたいと思うだ。今日は青物の取引について話すので、聞いてくれ。最近いろいろな変化が生まれているだよ。

俺達青物を作っている百姓、つまり村のことを市場では山方と呼ぶだ。以前は山方に商人がやってきて、現金で青物を買っていた。つまり俺達から仕入れるわけだ。商人は仕入れた青物を持って武家とか料理屋とか青物屋に売る。それでも余ったものは行商、世間でいう棒振りに売るだ。天秤棒の前後の籠に青物を入れて売るから棒振りという訳だ。

ところが最近、お江戸の人口がドンドン増えているので、それに伴い、山方からの買い付け量がこれもドンドン増えているだ。今迄の商人は山方からの荷集め専門の仲買となり、問屋に持ち込む。問屋の先には市場というものがあり、そこにも仲買が集まっていて、仲買は武家とか料理屋に直接売ったり、小売で青物屋に売り、棒振りにも売る。」

郷助はここまで話して、一呼吸入れた。

才蔵が聞いた。

「郷助さん。こんな風に考えて良いのでしょうか。つまり今迄の商人は、農家、つまり山方から自分の金で青物を仕入れて、武家とか料理屋とか青物屋に売る。つまり仕入れと販売の両方をやっていた、しかし、今では客への直接販売はできなくなり、販売は問屋とその先の仲買と青物屋がやるようになった、と。」

「才蔵さん、その通りだ。今迄の商人はお客さんにこの青物は何々村の何とかどんが作った青物だ、と伝えることが出来た。言い換えると、お客さんはその商人の野菜なら間違いないと思って買うことが出来ただ。商人を介して、山方とお客さんがつながっていただ。しかし今では市場(いちば)が出来て、それぞれ手分けしてやるようになったので、そんなつながりは切れてしまった。山方ー仲買ー問屋ー仲買ーお客、という流れに変っただ。山方の仲買は少しでも安く買おうとする。お客さん方の仲買は少しでも高く売ろうとする。問屋は口銭を少しでも多く取ろうとする。みんな金のことばかり考えるようになった。以前は大体話合いで決まった価格も、最近ではそうじゃない。山方の仲買は、何々村からはもっと安く仕入れることができる、などと抜かすようになった。

それからもう一つ厄介な問題がある。ここお江戸の周りの山方は両御丸(江戸城の本丸と西丸)への青物のご用達をしなければならない。俺達の村でも慈姑(くわい)がご用達品になっている。これには御定値段というのがあって、相場よりも安く、必ず損が出る。それで損を被っても何とかなる大問屋がご用達品の請負人、つまり納人というのだが、差損を引き受けている。大問屋にしてみればご用達を担当すれば、損が出るが、そこはそれ、旨味もそれ相当あるんだろう。だども、損を少しでも減らそう大問屋は仲買に因果を含め、俺達山方に安値を要求してくるだ。葵の紋所をちらつかせてくるので何とも厄介なのだ。」

才蔵がびっくりしたように聞いた。

「幕府の皺寄せが私たちのところに迄来ているというわけですな。こうした場合何か手立てはあるのですか」

郷助は苦々しげに答えた。

「葵のご紋にかかわりの無い争いごとであれば幕府評定所に訴えることもできるが、ご用達品の場合はそうは行かないだ。泣き寝入りだよ」

郷助が続けて言う。

「だから俺達山方は両御丸のご用達は別として、その他では団結しなければならないだよ。仲買にいいようにされては駄目だ。ただ一人だけ俺達の気持ちを良く分かってくれる仲買人がいる。以前は山方から仕入れてお客に売っていた昔堅気の商人だ。惣次という名前の仲買人だ。惣次には昔からの客がついている。そこで山方の俺達は惣次には青物、土物を目立たない程度に売っている。惣次の客の中には棒振りが多いのだ。その中に小太郎という子供の棒振りがいる。父親は青物渡世だが風疾でろくに働けず、母親は子沢山の病気がちで、小太郎が一家を背負うような形で身を粉にして働いている。仕事の合間に不動様へ両親の病気回復を願って日々祈願に参詣し、無駄使いすることもなく、弟妹達に小遣いをやり、遊びごともしないで律儀に商売に励んでいる・・・と惣次から聞いたことがある。」

孝吉は黙って聞いている。

次郎太が口を開いた。

「兄やんがここらの村の山方のまとめ役をやっていたことは知っていただが、大変なことをやっていただな。このまとめ役は俺達には直ぐには無理だ。」

郷助は言った。

「次郎太。直ぐには無理なことは俺も分かっている。だども山方の寄り合いとか仲買との交渉の時は、次からお前にも出てほしい。少しづつやり方を覚えていけばいいだ。

それからもう一つある。是非取り組んでほしいのは卵だ。鶏に野菜の屑を餌にして与えると黄身のしっかりした卵を産む。鶏を飼って卵を取って、青物と一緒に売ればいい。結構いい値段で売れるはずだ。卵は滋養があるということで近頃人気が出てきている。

そして最後に薩摩芋だ。『薩摩芋は高くて、おまけに毒もある』ということで以前はあまり食べる人もいなかったが、今は貴賎を問わず食べる人が増えてきている。

いずれ薩摩芋が主食になる時代がくるだろう。特に薩摩芋は焼くと旨い。だから俺達も薩摩芋の作り方を研究して、どこにも負けないものをつくるようにしたいと思っているだ。」

才蔵がちょっと言いにくそうに言った。

「郷助さん、毒があるというのは屁のことですか。確か薩摩芋を食べると屁が出ると聞いたことがあります」

郷助は笑って答える。

「薩摩芋を食べると屁が出るというのは本当だよ。だから俺は思っている。両御丸のご用達ものに薩摩芋はならないと。特に薩摩芋は女達の好物だ。大奥が大変なことになるだろうよ」

郷助も次郎太も孝吉も才蔵も大笑いした。

郷助は話を締めくくるように言った。

「これからの時代、なにがどうなるか、一寸先も分からないが、世の中がこれからどうなっていくか、どう変わっていくか、百姓の俺達も眼(まなこ)をしっかり開けて、耳の穴もかっぽじって見極めていかなければならないだ。」

才蔵はため息交じりに言った。

「お百姓さんも大変ですな。いや、その大変さを今日つくづく知りました」

郷助は前を見据えて言った。

「大丈夫さ、俺達には百姓魂がある、それもでっかい魂が」

 

  


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