野菜の用語「間引き」について
2011.11.9
野菜を栽培していて使う言葉に「間引き」があります。野菜栽培教室では、最初に間引きがなぜ必要であるかを説明した上で、間引き作業をして頂いています。
ところが、ある銀行の屋上の屋上菜園で、新入行員に手伝って貰って野菜の手入れをした時、エダマメの苗を間引きながら、ある新入行員が「自分もこんなふうに間引かれてしまうのかな」と呟いた声が耳に入ったのです。
その時は「人間の場合は、適材適所だから、自分の持ち味とか能力を磨いていれば大丈夫」とフォローしましたが、やはり「間引き」というのは微妙な反応を引き起こす言葉かもしれないと感じました。
また若い女性を対象にした野菜栽培の時には「間引きした苗が可哀想。どこか他に植えられますか」と聞かれたことがあります。この時は「間引かれた苗は他のところに植えても育ちにくいので、捨てないで食べてください」と答えました。
そして高齢者を対象にした野菜教室でも同じように「可哀想」との言葉が出ましたので、同じように答えました。高齢者の方々は間引きした苗を大切に持って帰ってくださいました。
ビジネスパースンに対しては、説明は次のようになります。
間引き、整枝は「選択と集中」です。肥料、ミネラルなどは限られていますので、良い果実を選んでそこに栄養分を集中させ、大きくて美味しい実を取ります。・・・
「なるほど」という表情で、特に「可哀想」という反応はありませんでした。
人により、年齢により受け取り方はさまざまでしょう。
近々保育園の子供達に屋上で間引きをしてもらうことになっています。幼い、感受性の豊かな子供達に「間引き」についてどのように説明したら良いのか、考えているところです。
人間が食べるということはどんなことなのか、特に野菜の場合、人と野菜がどのように、関わり合っているのか。そこまでさかのぼって、子供達と共有できる「小さな真実」を見つけたいと願っています。