欅風-江戸詰侍青物栽培帖

欅風-江戸詰侍青物栽培帖

第80話 狭野は桃源郷

叡基による狭野藩の領地利用計画の案が出来上がった。全領地を調査、測量して作った正確な地図が元になっている。そのために1年を費やした。

叡基は手書きの、丁寧に細かく描かれた地図を氏安の前に拡げた。

「心がけたことは現状をできるだけ尊重しつつも、狭野の領民にとって住むのに良く、働くにも良く、商売をするにも良く、狭野の地に観光でやってくる大坂、京都、堺の人々にとっても良い、この四つの良い、を実現するために領国内の割り振りを考えました。

まず狭野の中心を通る街道。ここは人と牛馬、馬車の往来が一番多いところですので、道路の幅を拡げて、広々とした道にします。そうすれば、ぶつかり合うこともなくなり、人も安心して歩くことができるようになります。先日、子供が馬車に轢かれるという事故が起こりました。馬車は真ん中の道を使います。牛馬、人は脇の道を使うということにして、人の歩く道には片側は桜の並木を植え、春には桜見物ができるようにします。もう一方の側には梅の並木を植えます。そして歩き疲れた時には気軽に座れるように椅子をところどころに置くこととします。」

氏安が言った。

「人々の歩く様子が目に浮かぶようだ」

一呼吸置いて、叡基が続ける。

「この街道と交差している道があります」。

叡基はこの十字路を大きく広げて真ん中に空き地をつくると説明した。

「ここは何のための場所になるのか」

「ここは祭の場所です。季節折々の祭のための舞台になります。住民も、観光で、また商売で狭野に来られた人達にも楽しんで貰える場所となりましょう。街道には狭野の物産を売る店を左右に揃える予定です。店の地代は、間口の幅で徴収することします。今迄この街道を狭山往還道と呼んでいましたが、これからは狭山梅桜街道と名付けたらいかがと存じます。」

氏安は言う。

「良い名だ、狭山梅桜街道」

叡基は続ける。

「梅桜街道と交差する道は花の名をとって、道の片側に桔梗を、反対側に躑躅を植えることにして桔梗躑躅道。この桔梗躑躅道には旅籠、商人宿、飲食店などを並べることにします。街の中心には初春には梅、春には桜、夏には躑躅、秋には桔梗が咲くことでしょう」

叡基は、地図の別のところを指して言った。山の方だ。

「近頃はどの藩でも新田開発に力を入れております。そうしますと、今迄田畑でなかった雑木林、森を切り開くことになりますが、そこには農民の入会地というものがあります。入会地は村や部落などの村落共同体で持っている土地で、そこで畑のために落葉を集めて腐葉土をつくったり、煮炊きのための薪を拾ったりしています。農民にとってはなくてはならない場所なのです。従い、そのような入会地ではない、空き地を新田にしていくなら差し支えないでしょうが、農民の入会地を侵すことだけは避けるべきと考えます。以前薬草を栽培するために山の中腹の森を拓く時に、自分達の入会地が侵され、奪われるのではないかと農民達が心配したことがありました」

氏安が尋ねる。

「その時はどうなったのだ」

「そこは川の源流に近い森で、入会地ではなく、藩の直轄地でしたので、事なきを得ました。そこから少し下がったところに入会地があります。入会地をどうするかで藩の領民に対する姿勢が右か左かはっきりします。つまり農民の生活・仕事を大切にするか、あるいは目先の利益で農民をダメにするか。従い、新田開発を慎重に行なうこと、それはとりもなおさず新田開発は最小限に留めて、稲作の面積当りの収量を引き上げる方策を採るということになるかと。後々のことを考えますとその方が賢明かと存じます。これから多くの人々が狭野の地に来てくれるようになることでしょうから、野菜、果樹も栽培して、物産店向けの加工品にして、また旅籠、商人宿、飲食店向けの料理の食材として、販売することができましょう」

氏安が聞く。

「木綿、生糸などの換金性の高い作物はこれから増産していくことになるが、どこで栽培することになるのか」

「木綿は荒地でも栽培できますので、領内で農民が耕作を放棄した畑を藩で買い上げて使うこととしますが、生糸のためには桑の木が多数必要になります。畑地にもなりにくく、入会地でもない山の傾斜地に桑の木を植えるのが良いかと思います。山を持っている地主が狭野にも何人かおりますので、地代を払えば使うことができます」

「木綿、生糸の栽培のために人手が必要だが、それはどうするのだ」

叡基は即座に答えた。

「領国の老人・女・子供達も働きます。狭野では老人も女もある程度年の行った子供も働く、ということにします。家族全員が働けば、家の暮し向きも良くなります」

「氏安様、国を富ませる秘策はありません。国の領民全員が適地適作、適材適所で仕事に励むことによって初めて国は豊かになります。武士も時間を見つけて畑で働くことが求められています。誰一人暇な者がいない国、さらに身体が不自由な者、知恵遅れの者でも働くことができる国、それが狭野の目指すところではないかと存じます。安心して働くことができる、飢えることがない、ささやかでも生き甲斐を持つことができる。それが桃源郷ではないかと考えました」

叡基の指先が狭山梅桜街道のところに戻った。

「ここに楽市楽座を置いてみました。商業を盛んにするためです。またその隣に物品交換所を設けます。それは商売ではなくて、領民が使わなくなった自分の生活日常品を物々交換する場所です。おカネが無くても生活に必要なものが手に入る場所です。交換するものが無い時にはツケにしておきます」

「氏安様は、桃源郷と言われました。文字通り、桃の木も領国のあちらこちらに植えることにします。」

「春には桃の花が咲き乱れることであろうな」

氏安は領国の地図を見ながら言った。

叡基は領民の安全を守るために河川の氾濫、崖崩れの普請を早急にする場所にも触れた。

河川2ケ所の堤の修復。崖崩れの心配のある個所は10箇所。その中で近くに農家のある個所は6ヶ所であった。間伐の木を細工して、山の傾斜面の要所要所に土留めを作った。叡基は農民に間伐材の利用を奨励した。適切に間伐していけば残された木は大きく生長し、広がった根でしっかりと土を掴み、土の中の岩を抱え込むことができる。

 

桑名の御料地では稲の選抜と新しい農機具の導入によって、そして何よりも集落同士の競争の結果、大きな増収を実現することができた。御料地ではまず米をつくることが優先された。従い農民達が自分で食べるヒエ、粟などの穀物、野菜は別にして他の換金性のある作物の栽培は極力抑えられた。一に米、二に米、三に米、だった。天岡の計算では今回の増収で、名目の石高に実質の石高が追いつくところまできた。御料地では四公六民となっているので、これで農民の実質的収入も増え、暮らし向きも良くなっていくことだろう。天岡が何よりも嬉しかったのは皆が力を合わせて、知恵を出し合い、新しいことに取り組み成果を出したことだった。自分は殿の指示の元、そのキッカケを作ったに過ぎない。

桑名の宿場の助郷制度では5種類の地場産業が選抜され、それぞれの産業に御料地の札差経由、100両づつ、合計500両の預け金が渡された。預け金は生産性を向上させるための設備投資に、また材料の仕入れ資金として使われる。天岡は新しい帳合法を取り入れることを預け金の条件とした。今迄と違う帳合法に慣れる迄は大変かもしれないが、これは預け金を貸す側にとっても、借りる側にとっても必ずや益になる。天岡は西洋式帳合法について正確に理解するためと導入の仕方を心得るために、その後何度か屯倉徳庵を訪ね、教えを受けた。毎年50両、近隣の農家に助郷制度のための追加の年貢を課すことなく、利足金で宿場の維持・充実を図ることができれば、桑名の宿場にとっても良いことだろう。

西洋式帳合法の導入・活用して、預け金で地場産業を振興させる。これは前代未聞のことであり、実際にやってみなければ分からない、やっているうちにいろいろな問題も出てくることだろう。この仕組みは狭野藩が、元本と毎年の利足金50両を宿場の出資者に対して約束している。絶対に成功させなければならない。天岡は氏安と相談の上、藩庁の中で西洋式帳合法の普及につとめた。天岡の部下の者が西洋式帳合法を会得して、将来的には天岡に代わって地場産業を指導できるようにしていきたい、それが天岡の考えだった。最初の年が勝負だ。50両の利足金を出すことができれば、地場産業にとっては自信になり、宿場の出資者にとっては励みともなるだろう。更にこの仕組みが有効であることを実証することにもなる。天岡は部下の者を連れて、5つの地場産業の作業所を定期的に回った。木綿の製糸工場、味醂の醸造所、家具の作業所、和紙づくりの作業所、化粧飾りの作業所が今後の発展性があるということで選ばれた。

 

足立村の郷助の家では、孝吉がおしのを嫁にもらい、夫婦になった。おしのはタケの家事を助け、また才蔵、次郎太、孝吉と一緒に畑に出かけ農作業に汗を流し、作業所の助手達の洗濯物など身の回りの世話もしている。そして最近のことだが、おしのが身ごもったことが分かった。

タケがおしのに言う。

「元気な赤ん坊を産むにはこれからが大事だよ。無理をしちゃいけねえ。特にお腹にさわるような作業は避けた方がいい」

タケは郷助、孝吉、次郎太、才蔵と相談した。

その結果、身体が落ち着くまでは身体に負担の少ない、軽作業に専念することとした。

郷助がおしのに話した。

「みんなでおしののここ当分の作業について話し合っただ。それで、おしのにはこんな作業をしてほしい、ということになった。まずはタケと一緒に朝昼晩三食の食事づくり。それから作業場の帳簿付け、畑に出て作業するのは暫く休みだ」

おしのは答えた。

「皆様のお心遣い、ありがとうございます。元気な赤ん坊を産むことができるよう、おしのは努めて参ります」

郷助が作業場の帳簿付けをおしのに言いつけたのには訳がある。ある日おしのが作業場で才蔵が帳簿を付けているのを見て、聞いた。

「これは何でしょうか」

「これは帳簿と言って、この作業場で使う材料、薪などの燃料などの仕入帳、義手、義足、車椅子、松葉杖などの販売の内訳を表す売上帳、この2つが基本で、毎日書き込むようになっています」

おしのが才蔵に聞く。

「このようなものは初めてみました。叡基様と一緒におりました時には家計簿のようなものは付けていましたが、作業場ではこのような本格的なものが必要なんですね。私もできることならお手伝いしたいのですが、私にもできるでしょうか」

「家計簿をつけていたのなら、できますよ。おしのさんは字が上手ですし、和算の勉強をしていたのでしょうか、計算も早い」

そんなやり取りを郷助は傍で聞いていた。

孝吉はおしのを嫁に迎えてから、逞しくなった。

「オレがおしのを幸せにする。そして今迄以上に父さん、母さんを助けていきたい」

孝吉はおしのと二人きりの時、おしのにそう言って、おしのを抱きしめた。

 

ある日、郷助の元に江戸城からの使いが来た。

使者は郷助に文と包みを渡しながら言った。

「土井様からの文と包みだ。ここに確かに受け取ったことを証するために貴公の名前と今日の日付を書くように」

郷助が封を開いてみると二通の文が入っていた。

一通は土井利勝からのものだった。

「娘のために良き義足を作ってくれたこと、感謝申し上げる。娘は祝言の日に誰の助けも借りず、花嫁姿で一人で歩いたのだ。私は自分の目を疑った。涙が出て止まらなかった。お礼の気持ちを込めて金子を包ませてもらった。今後ともよろしくお頼み申し上げる」

もう一通は娘からのものだった。

「良き足をつくってくださり、ありがとうございました。お陰様で五体満足で花嫁姿になることができました。これからも何かとお世話になるかと存じます。琴より」

 

包みには10両が入っていた。郷助は才蔵と相談の上、今後の開発のために、またいざという時のために、積立金という特別勘定をつくり、その勘定に入れることにした。

 

 

 

波江の家では千恵の考えを実現する準備が始まっていた。波江と千恵の家では、食べ物はほぼ自分達の畑と慈光和尚の寺の畑で賄うことができていたが、現金収入は慈光和尚から頂く孤児院の子供達のための食費、それに千恵と幸太が朝夕の行商で稼いでくる金だけだった。

波江は農作業、孤児院の子供達の食事、赤ん坊の世話、孤児院の寺子屋の準備に追われていた。現在の現金収入でやっていけないことはないが、ぎりぎりだった。千恵はある時、波江から家計簿を見せてもらった。

「お母さん、こういうのを付けていたんだね。毎晩寝る前に何をしているのかと思っていたの」

「和尚様から毎月食費を頂いていることは千恵ちゃんも知っているわね。そして千恵ちゃんが幸太と一緒に朝夕行商で野菜を売ってくれている。それから直売所の売上げもあるわ。毎日の売上もこの家計簿につけているの。お米とかお芋などはできるだけ半額の日に買うようにしているわ。今月はいくらおカネが入ってきて、いくら出たかを記録しているの」

千恵が心配そうに聞く。

「足りない時もあるの」

「そんなにはないけど、時々あるわ」

「その時はどうしているの」

「足りなくなった訳を調べて、できるだけ翌月に埋め合わせするようにしているわ」

千恵は思わず言った。

「お母さん、千恵、もっと稼ぐ」

「どうやって?」

「それはこれから考える」

そんなやり取りがあってから暫く経った日、千恵はこんなことを言った。

「お母さん、普請場で働いている人達のためにすぐに食べられるお弁当をつくって売ったらどうかと思ったの。いつも行商にいく町の先に大きな普請場があって大勢の人達が働いているわ。おにぎりとかお稲荷さんと野菜の煮物、それにお漬物を添えて、お弁当にして売ったら売れるんじゃないかと思ったの。野菜はウチの畑でとれるものを使います」

波江は以前小さな屋台のような食べ物屋をやっていた。千恵と一緒に生活するようになってから店をたたんだ。それだけではなく、女が夜遅くまで、一人で店を出しているのは危ないご時世にもなっていた。

「昼間だったら大丈夫かもしれない。それに千恵ちゃんは大人顔負けのしっかりものだから。毎日のお弁当づくりで、私の料理を千恵ちゃんに伝えることもできる。でも無理をさせてはいけない。毎日10食くらいのお弁当で始めてみたらどうかしら」

波江は千恵に伝えた。

「いい考えだわ。まずは10食ぐらいからやってみたらどうかしら。毎日の献立は千恵ちゃんとお母さんが一緒に考える、というのでどう?」

千恵は喜んだ。

「お母さん、ありがとう。千恵、頑張る」

「千恵ちゃん、ありがとうと言うのはお母さんの方よ」

 

四谷の荒木町の店、「大和屋」で新之助は支配人として商売に励んでいる。店主の順吉は、さすが徳兵衛が仕込んだだけあって、商売の勘働きが並みではない。最近新之助は順吉から今後の商売の進め方について相談を受けた。

「戸部様、これは手前が考えたことなのですが、お店でお客様を待つだけでなく、品物をみつくろってお客様のお宅迄お伺いするというやり方を「大和屋」の売りにしたらいかがでしょうか。先だって伺ったお客様が大層喜んでくださったことで、そう思ったわけでございます」

「良い考えだ。荒木町界隈には多くの呉服屋がある。お客様にウチの店を選んで頂くためには他の店にない、ウチ独自の魅力が必要だと私もかねがね思っていた」

「戸部様、お店は一日中忙しいとは限りません。しばらくの間は今の人数でやりくりできるかと思います。絹は高価ですから、お買い求めになるお客様は限られております。齢をとり、外を歩くのが何かと不自由になっても女の方はお洒落をしたいと思うものでございます。商家のご主人方は何かとお付き合いの多いものです。ですから口から口へと「大和屋」の「お伺い」が広まっていけば、よろしいかと思います」

 

新之助と順吉は「お伺い」の仕組みと人選を進めた。縮緬の見本帖をつくり、縮緬の反物を包む、肩に背負う専用の袋を作った。お伺いは康吉を担当とした。お客様の話を丁寧に聞くだけでなく、お買い上げいただいたお客様の名前、身の丈、年齢、好み、お客様との話のやりとりなどを、たった一度でもすべて覚えてしまうという特技を持っていた。

 

「お伺い」を始めてから半年、「お伺い」による商いが店の売上の三割を占めるまでになった。他の呉服屋も「大和屋」の商いのやり方に気付き始めた。

新之助は順吉に言った。

「これからが本当の勝負だ」

 

 

狭野の領内を歩く氏安の姿が見える。伴の者を一人連れている。昔部屋住みだった頃、そうしていたように、氏安は領民に声を掛け、話し込んだ。梅桜街道と桔梗躑躅道の普請現場にも度々足を運んだ。

氏安は十字路の真ん中の欅に目を向けた。根元から多くの枝が伸びている。その枝も幹のように太い。その欅を見ながら氏安は心中で自分に語り掛けた。

「時代の烈風はこれからますます激しさを増すことだろう。しかし、わが狭野藩はこのような欅となって烈風を受けとめ、生き抜いていくのだ」

 

氏安は小田原の方角に顔を向け、祈った。

(完)

 

 


第79話 才蔵、新之助 一夜の会話

新之助は才蔵に文を送った。近い内に会って積もる話をしたい、という文面に、新之助の荒木町の店「大和屋」の近況も書き添えた。間もなく才蔵から返事が来た。郷助に相談したところ、「ウチに泊りがけで来てゆっくり語り明かしたらいかがでしょう。食事はこちらで用意します。新之助様のご都合の良い日でいつでもお越しください」との郷助の伝言が書かれていた。

新之助は大和屋店主順吉とも相談して泊りがけの日を決めて、足立村の郷助の家に向った。以前一度だけだったが、狭野藩下屋敷から郷助の家に招かれて行ったことがある。川の傍の大きな熊野神社が目印だった。昼頃荒木町を出て、足立村に着いた頃、夕焼けが空一面を焦がしていた。熊野神社のところに着いた時、「新之助」と呼ぶ声が聞こえた。才蔵だった。出迎えに来てくれていたのだ。

「新之助、久し振りだな。元気そうでなによりだ」

「オヌシもすっかり陽に焼けて元気そうだ。」

「途中迷わなかったか」

「オレは方角には強いんだ。一度行ったところは忘れない」

「そうだったな。ところで郷助さんの家は今嫁を迎えるということで大忙しなのだ。それでも他ならぬ新之助様ということで世話をしてもらうこととなった」

「それはありがたいことだ。それで嫁というのはどこから来るんだ」

「びっくりするなよ。狭野からだ。大川の普請の指揮をとった叡基様が娘同然のように大切にしてきたおしのという女子だ。オヌシも知っているはずだ。亡くなった元吉と一緒に便所掃除をしていた。」

「思い出した。そうそう元吉だ。かわいそうなことをした。あの後、おしのは一人で歌いながら便所掃除をしていた」

「そのおしのを叡基様は大川の普請の後、引き取って狭野に連れて帰った。しっかりした気立ての良い働き者だそうだ。郷助の息子の孝吉が先年親爺さんと一緒に堺に行った帰り、叡基様のところに寄った。その時二人は初めて会ったんだが、孝吉がおしのに一目惚れしたようだ。」

新之助は叡基の人柄を思いながら、言った。

「叡基様と一緒に暮らした女子であれば、間違いないだろう。郷助さんはさぞ喜んでおられることだろう」

「今郷助さんの家は喜びに包まれている」

話しているうちに郷助の家に着いた。

 

郷助の家は2棟に分かれている。母屋を向き合うような形で2階建ての大きな建物が建っている。1階が作業所で2階に助手達が寝泊りしている。食事は全員母屋でとる。

作業場から郷助が飛び出してきた。

「新之助様、お久振りです。お元気そうでなによりです。いや~、何年振りでしょうか」

「5年ぶりになりますか。それにしても郷助さんもますます壮健のようで、お忙しくされていると才蔵から聞いております」

郷助は母屋に向って声をかけた。

「おーい、タケ。新之助様が来られたぞ」

次郎太と孝吉はまだ野良から帰ってきていなかった。

「もうすぐ帰ってきますだ。次郎太も孝吉もさぞ喜ぶことでしょう」

タケが出てきた。

「新之助様、まさか良く来てくださいました」

新之助は郷助夫婦に孝吉の祝言のことでお祝いの言葉を述べた。

「お陰様でウチの孝吉に嫁がくることになりました。これで一安心ですだ」

新之助は言った。

「郷助さん。作業場の様子を拝見できないだろうか」

「取り散らかっていますが、それでよろしかったら」と言って郷助は新之助を作業場に案内した。

作業場では助手達が作業の片付けをしていた。

「こちらが話していた新之助さまだ」

助手達が挨拶をした。

「よくおいでくださいました」

作業場の中に何か組み立て中のものがあった。

「これは何ですか?」

「脱穀用の唐箕を作っております。最近は農機具もつくるようになりました」

 

母屋の上がり框のところに桶が用意してあった。

新之助は足を洗って手ぬぐいで拭いてから奥の座敷に向った。座敷の大卓には料理と酒が用意してあった。

タケが言う。「何もありませんが今晩はゆっくり才蔵様と語りあってください」

「何を言われますか。こんなに御馳走を準備してくださり、恐縮致します」

新之助は持ってきた土産、江戸は四谷荒木町の銘菓をタケに渡した。

 

新之助と才蔵は大卓を挟んで差し向かいに座った。

才蔵は言った。

「郷助さんご夫婦には本当にお世話になっている。ここで私は生まれ変わることができた。」

「陽にもやけて、逞しい感じになったな。良かった。本当に良かった」

「それでは互いの健康とこれからの働きのために乾杯だ」

才蔵が新之助の猪口に酒を注ぐ。新之助が才蔵の猪口に注ぐ。

飲み干した後はお互い手酌で飲むこととした。

才蔵が聞く。

「オヌシの荒木町の店、大和屋は順調のようだが、どんな商いをいるんだ。」

「主な商品は縮緬の襦袢だ。他の呉服屋ではまだあまり扱っていない。そして狭野で採れる泥炭を使った化粧品、髪飾り、ウコン入りの甘酒なども扱っている。それにしても江戸はお客様も多い代わりに競争が激しい。生き馬の目を抜くとのこのことだな、と思わされることがちょいちょいある。だから毎日毎日が創意工夫だ。オレも毎日商売の勉強だ。店の方は店主の順吉というものがよくやってくれているが、とにかく商売というのは大変だ。売れる日もあれば、さっぱりの日もある。」

「そうか、そこらへんは自然を相手にしている農業と違うところだな。人々の金回り、嗜好の変化、流行もあることだろうから。もっとも農業の場合、日々の天候に左右されるから、毎日自然という奥深いものを相手にしなければならない。」

「そういう意味では同じかもしれないな」

「もっともオヌシは商売、私は農業と今迄経験したことのないことをやっているわけで 学ぶことが山ほどある、ということだ」

新之助が聞く。

「ところでオヌシの気の病はその後、どうだ。すっかり良くなったように見えるが・・・」

才蔵は答える。

「お陰様でもう大丈夫だ。いやもう少しだ。ここの次郎太さん、そして寺子屋のある寺の慈光和尚に話を聞いてもらい、随分楽になった。次郎太さんと一緒に農作業をしていると無心になれるのだ。自分というものを考えている自分を忘れることができる。慈光和尚は私の話をトコトン聞いてくれる。和尚は私の人生の出来事の一つ一つの意味について一緒に考えてくれる。和尚に「私は心の芯の部分が腐っている」と話した時、和尚は「それはこのような意味でしょうか」「このように考えることはできませんか」と私に聞き、一緒に考えてくれたのだ。何も教えず、私に考えさせるのだ。ある時和尚に「お釈迦様はどのように言っておられるのですか」と聞いたところ、和尚は「あなた様の心の一番深いところにおられる仏様があなたに教えてくれるでしょう。自分で気付いてこそ、卵の殻は破れるのです。」・・・毎月二回寺子屋に行き、子供達に和算の講義をした後、和尚と一刻を過ごすようになった。」

「才蔵、いい人に巡り合うことができて良かったな。いずれオヌシも藩に戻る時がくる。

どのような働きになるか、オレには分からないが、きっと大切なお役目を仰せつかることになるはずだ。またオヌシと一緒に仕事ができる。オレはそれを本当に楽しみにしている。」

「新之助、いろいろと心配を掛けてきたが、大丈夫だ。私もオヌシと一緒に狭野藩でお役目に励む日迄、ここで才吉として農業に、作業場での働きに、そして寺子屋での講義に、我を忘れて打ち込んでいきたいと思っている。・・・ところで狭野藩の今の様子はどうだ。藩政改革は進んでいるのか」

新之助は嬉しそうに答える。

「一歩一歩着実に進んでいる。殿は腹を括って藩政改革を進めておられる。北条第一代の早雲様が目指した理想の国づくりをしようとされている。それから、才蔵驚くなよ、殿は江戸城に入って土井利勝様の下で幕府の御料地の経営にも関っている。」

才蔵は驚き、聞く。

「幕閣の一員となられた・・・。」

「そうだ。お役目は極めて重い。これからが殿にとっても、狭野藩にとっても、そして我らにとっても正念場だ。オレはそう思っている。天岡は桑名の御料地の建て直しに尽力し、成功しつつある。そして助郷制度では今迄無かった仕組みを考えた。周辺の村に年貢を追加で出させるのではなく、地場産業に金を貸し付け、利足金を取り、それを宿場の充実のために使うというのだ。そのために西洋の帳合法も学び、個々の地場産業の経営を指導している。」

「天岡殿はさすがだな。やることが違う。」

新之助は才蔵に言う。

「適材適所なのだ。オヌシにも適所が必ずある。それを磨き、伸ばしていけばいい。ただオレは最近思うのだが、学問のための学問ではなく、目の前の大きな壁を打ち砕くために学ぶ、ということが本当の学問では無いかと思うのだ。要するに実学実用だ」

才蔵は新之助の顔を見て、言う。

「オヌシも随分変ったな。働きが人をつくるというがオヌシが輝いて見える」

それに対し、新之助も応じる。

「オヌシも輝いて見えるぞ。ちょっと黒びかりだが、お互い、切磋琢磨して励んでいこう」

二人は笑いあった。

 

「入ってもよろしいでしょうか。お酒と肴を持ってきました」

襖を開けて、タケがお盆の上に酒と肴を載せて入ってきた。

食べ終わった肴の皿を片づけて、

「いつでも必要な時はお声を掛けてください。それでは失礼します」

 

才蔵が昔を思い出しながら言う。

「狭野藩の下屋敷でオヌシと一緒に青物組で青物をつくっていた時のことが昨日のように思い出される。・・・あれからいろいろあった」

「いろいろあった。そして今ここにこうしている。」

「そうだ、今ここにこうしている」

 

話しは尽きなかったが、夜更けに二人とも床についた。

翌朝、鶏の鳴く声で目が醒めた。手早く身支度をして、二人は外に出た。爽やかな空気を胸いっぱい吸ってから朝日に向かい、手を合わせて拝んだ。

新之助が才蔵に言う。

「あそこに欅の木がある。多くの欅はまっすぐに幹を伸ばして天を目指して伸びていく。しかし、中にはそうでない欅がある。あれがそうだ。根元から幹のような枝が分かれ分れに何本も出ている。まるで人の手のようだ。指のように枝が出ている。俺はそんな欅が好きだ。根元を同じくして、それぞれの枝が何本も広がっている。だから強い風が吹いてきても一本の太い幹ではなく、何本もの太い枝で風を受け止める。俺もオヌシもそんな欅の枝ではないだろうか。オレにはそう思えてならぬ。わが藩もそうではないだろうか。掌は殿だ。」

才蔵は新之助が指差した欅を見た。風の中、大きな塊になってゆっくり揺れている。

「そうだな・・・確かにそうだ」

才蔵は呟いた。

 

郷助家族、才蔵、そして作業場の助手が母屋の居間に集まって朝餉をとっていた。朝餉の後、その日の予定の確認、また報告などを行なうことになっている。昨日の午後、大船渡の源次から文が届いた。

読み終えた後、郷助は言った。

「源次も元気にやっているとのことだ。これで安心した」

 

 


10月14日(火)時代小説「欅風」を書き終えて

昨日のブログの続きのような形になるが、書きおえた後、夜遅くなってから、登場人物の一人一人にこう問いかけた。「これで良かったのだろうか、納得して貰えるようなストーリーになっただろうか」と。問いかけた後、気がついたことは登場人物の一人一人が相談者、同伴者を実は持っていた、ということだった。

氏安には叡基と天岡、郷助にはタケと才蔵、新之助には才蔵と徳兵衛、天岡には屯倉徳庵と氏安、波江には慈光和尚と千恵、おしのには元吉と叡基。才蔵には次郎太と慈光和尚。書いている時は気がつかなかったが、このような人間関係がいつの間にか出来上がっていた。不思議な感じもする。

欅風の後、一休みしてから、「屋上菜園物語」を書く予定だ。屋上菜園を取り巻く人々の人生模様がテーマになる。短編の集まりのようなストーリー集だ。12月下旬までには書き終えたいと計画している。

 


第78話 慈光和尚の願いと天岡の帳合への取り組み

今日も夜明けから波江が畑に出て農作業をしている。千恵と幸太が一緒だ。波江が収穫するキュウリ、ナス、ネギ、インゲン、春ダイコンを受け取ってそれぞれ篭に入れている。形の良いものは行商で売るもので、自分達が食べるものは小さなもの、形の悪いもの、虫食いのあるものだった。畑で大体の仕分けをして、家に戻ってからもう一度仕分けをして、値段をつける。千恵と幸太はそれを天秤棒の前と後ろに下げた篭に入れて早朝の行商に出かけた。その間波江は赤ん坊の世話をしながら、自分と千恵、それに慈光和尚と孤児院の子供達の食事を用意した。毎朝大忙しの日々だ。千恵と幸太が行商から戻ってきてから朝餉をとった。

波江と千恵と幸太は手製の岡持ちで食事をお寺に運んでいる。

和尚は言う。

「今日の味噌汁はうまいですな。ナスに加えて豆腐。拙僧は暖かいご飯と味噌汁があれば十分ですが、いつもいろいろと料理を用意してくださって、ありがたいことです」

豆腐は昨夕行商に行った千恵と幸太が豆腐屋で安く分けてもらったものだ。オカラの入った袋がいつの間にか篭の中に入っていた。馴染みの店なのでおかみさんは「いつもご苦労さんね」とねぎらいの言葉をかけてくれる。

波江は卯の花料理が得意だった。今朝のおかずはオカラにニンジンと木耳とシイタケそれに菜っ葉を細かく刻んで入れたあえものだった。山椒の葉が乗っている。そしてキュウリの漬物。波江は千恵に言う。

「オカラっていうから何かカラを食べているような感じがするけど、オカラは料理の仕方次第では贅沢なものにもなるの。あわびのオカラ和えとか、鯛の煮汁でオカラを味付けして、鯛の身をほぐしていれたり、とか」

「お母さん、うちのオカラだって贅沢よ」

「ありがとう、千恵ちゃん。オカラ料理って沢山あるの。覚えておくと役に立つわ」

ご飯は、以前はくず米で炊いていたが、最近は少しでも節約をしたいということで芋を半分ほど、ある時はヒエを半分ほど混ぜていた。幸い和尚も子供達も芋が好きなので、喜んで食べてくれている。和尚からは毎月自分と孤児院の子供達のため、ということである程度の食費を頂いている。できるだけその範囲に納めたいが食事で子供達に貧しい思いはさせたくない。「ここが私の腕の見せ所だわ」と波江は思っている。

食事の時間は楽しい時だ。和尚は子供達といつも一緒に食事をしながら、声をかけ、話を聞いていた。朝餉の後、子供達にはいつものように今日一日の日課が始まる。

午前中は農作業。昼食後から1つ半は寺子屋、そしてその後は再び畑に出て農作業。夕餉の後、波江と千恵は自分の家に戻るが、子供達は寺で和尚と一緒だ。和尚は消灯の時刻迄お釈迦様の教えを、そして和尚の創作物語「けん吉とかち子の冒険噺」を毎晩寝物語のように子供達に話して聞かせる。子供達は目を輝かせて聞いている。

和尚はそんな日々の中でこころに強く思っていることがある。

「私は波江さんと千恵さんを自分の命を掛けても守らなければならない。そして才蔵さんの良き相談相手になり、気の病から完全に立ち直れるように助けたい」ということである。波江を守るという気持ちにはどこかに愛しさという感情が含まれていることを和尚は自覚していた。そして才蔵にはどこか昔の自分の姿を重ね合わせていた。

寺にはキリシタン禁教のお触れが度々回ってくるようになった。それだけではなく、檀家の人別帳に名前が載っていないものがいないか、載っているものの中で不審なものはいないか、役人が調べにやってくる。どうも密告者がいるようだ。和尚には密告するものとされる者に心当たりはあるが、それはまったく与り知らぬことにしていた。

ある晩、波江が赤ん坊を抱いて、貰い乳を飲ませている時、和尚が波江と千恵の家にやってきた。夜分に和尚が来るというのは初めてのことだった。

「夜分突然伺って申し訳ありませんが、ちょっと急ぎのことがありましてな」

それは朝のお勤めについてのことだった。檀家の者たちも寺に来てお勤めをしているが、同じ時間に波江と千恵も来るように、皆と一緒にお勤めを守ってほしい、ということだった。波江は答えた。

「いつもお心遣いを頂き、ありがとうございます。それでは明日から、そうさせていただきます。」

和尚は波江の懐に抱かれている赤ん坊を見て、「お腹一杯になったようですな、よく寝ている。どれどれ拙僧にも抱かせていただけないでしょうか。可愛い顔をして・・・」

波江は赤ん坊を和尚に預けながら、「和尚さんが抱いてくださるって。良かったわね~」と赤ん坊に声をかけて「それではお願いします。私はお茶を」と言って立ち上がった。

「いやいやお構いなく」と和尚は慌てていったが、波江は台所で湯を沸かし始めた。

和尚は赤ん坊を抱いたが、目を醒まして泣き出さないか、ひやひやしていた。

二人を見ていた千恵が裁縫の手を止めて、言った。

「なんだかお父さんとお母さんみたい」

 

狭野藩の天岡は屯倉徳庵を大阪に訪ねていた。桑名の助郷制度と狭野藩自体の帳合いの仕組みづくりについて相談するためであった。以前徳庵と会食していた際、以前大阪にやってきたイタリア商人から西洋の帳合いの仕組みについて聞かされ、いたく感心したという話を天岡は徳庵から聞いたことがあった。そのことを思い出したのだ。何か参考になるのでは、と思い、徳庵に文をしたためたところ、直ぐに返事がきた。

「西洋式帳合いに関心を持たれるとはさすが、天岡様でございます。実は私のところに西洋式帳合いのやり方について書かれた本があります。何か『スンマ』と呼ばれる帳合法の元本を分かりやすく、使いやすいものにした簡略本です。最近、ある通詞が翻訳して、私達も読めるようになりました」

天岡は以前から帳合いについて4つのことを考えていた。

1.商品及び諸費用と金銭の流れを一致させるために全て貨幣で、つまり金とか銀ではなく、貨幣に一本化して表示できないか

2.儲けの最終的な額をどのように算出するか。儲けを出すためには元手と同時に汗水を流す人の働きというものがある。そのために賃金を支払う。売上金から仕入れ代と賃金を合わせた額を引いた残りが儲けとなるが、運搬費、利足金、保証金などの諸費用も実際はかかっている。もっと正確に本当の、最終的な儲け額を出したい。

3.儲けが出たら、それをどのように処分するか。借りた金であれば、利足金を除いた後に、残った儲けは元手に組み込んだり、関係者に褒賞金などを払うこともできる。自分の元手を積み上げていけば、他人から金を借りずに自分の力で事業を始めたり、拡げていくことができる。

4.藩の財政はどのような状態が望ましいのか。何を基準に藩の財政、収支状態を把握していくか。それが分れば藩のために短期的、長期的計画を立てることができる。

徳庵は自分の商売にこの西洋式帳合法を取り入れている、その結果商売の実態を今迄以上に正確に掴むことができるようになり、どこをどう改善していけば良いかも分るようになった、また「スンマ」が発明されたイタリアではこの帳合法を採用した商人が商売を飛躍的に成功させた、自分もそれにあやかりたいという話をした後で、

「商売人には極めて役に立つ帳合法ですが、藩の経営にも役に立つかどうか、私はそのような立場に立ったことがありませんので、何んとも言えませんが、一度天岡様も研究されたらいかがでしょうか。簡略本が私の手元にもう一冊ありますので、お貸しすることができます。」

天岡は即座に答えた。

「かたじけない。是非、お貸しください。」

徳庵はこの西洋式帳合法のあらましについて説明してくれた。天岡にとって目から鱗が落ちるような思いだった。

天岡は桑名の助郷制度で地場産業を選別し、100両の預け金に対する利足金の受け取りを確実にするために地場産業の経営になんらかの形で介入する必要を感じていたが、この西洋式帳合法であれば、それを使った経営指導という形で介入できるのではないかと思った。一方藩の場合は、徴税が藩の収入になり、藩庁の運営、久宝寺町の出先費用、江戸屋敷の運営、領国のさまざまな普請費用、武士に払う禄高、さらには幕府からの普請、賦役などの支出がある。徴税額の殆どは米作の出来高に左右される。不安定であることは避けられない。不作であれば藩の収入は落ち込み、支払うべきものが払えないという事態が起こる。やはり米の反当りの収量を増やし、一方で節約し、米を備蓄していかなければならない。

天岡の話を徳庵はただただ頷いて聞いていたが、天岡の話が一段落した後でこう言った。

「天岡さんは大変な役目を背負っておられますな。しかし、天岡さんならきっとお出来になりますよ。」

 

 


第77話 おしのと孝吉・夫婦へ

晩秋のある日、叡基のもとに一通の文が届いた。開いてみると郷助から送られてきたものだった。過日の訪問の礼が書き綴られていたが、その後叡基を驚かせるような文が続いていた。

「・・・。叡基様にお願いがあります。過日お伺いした時、私と孝吉が大変お世話になりました。その際、孝吉はおしのさんがかいがいしく働く様子を見て、またその後二人で話をしたりして、おしのさんに心を惹かれるようになったとのことです。最近私に孝吉が話があるとのことで聞きましたところ、おしのさんと夫婦になりたい、というのです。私の方からは叡基様のお考えもあろうし、またおしのさんの気持ちもあるだろうから、こちらだけで決められる話ではないが、お前がそこまで思っているなら叡基さまに文を書いてこちらの気持ちをお伝えしよう、ということになったわけでございます。孝吉はおしのさんが好きだと言っております。なにとぞよろしくお願い致します」

その日の夕餉の時、叡基はおしのに文の内容を伝えた。おしのは答えた。

「私のようなものを好きだと言ってくださるのは、本当に嬉しく、ありがたいことです。私も孝吉さんが好きです。ですが、もし私が居なくなったら叡基さまのお世話は誰がするのでしょうか」

叡基は言う。

「おしの、私のことは心配しなくてもいい。私は一人暮しには慣れている。孝吉と夫婦になり、幸せになるのだ。親爺さんの郷助さんも立派な人だ。それに江戸の近くにいれば別れ別れになった兄さんとも会えるかもしれない」

おしのは遠くを見るような表情で言った。

「もし生きていれば会えるかもしれませんが、私は最近兄さんはもう亡くなっているような気がしているのです。先日も夢で兄さんが出てきていうのです。『おしの、俺はもうお前には会えないが、幸せになるんだ。兄さんはお前の幸せを遠いところから祈っているよ』」

「おしの、それでは郷助さんに早速私の方から文を送るがいいか。文面はありがたく孝吉さんのお気持ちを受けとめさせていただきました。おしのは喜んで孝吉さんと夫婦になりたいと申しています、と」

おしのははっきりと頷いた後、泣き始めた。

「叡基さま、もうお世話できなくなって申しわけありません。そして江戸に嫁ぐことをお認めくださり、本当にありがとうございます」

叡基は涙顔のおしのに言った。

「おしの、一つだけ約束してほしい。江戸に嫁いでもここがおしのの実家なのだ。私の他に元吉もいる。」

おしのは言った。

「ありがとうございます」後は言葉にならなかった。そして静かに立ち上がり、外に出ていった。元吉の墓の前にしゃがんでおしのが何かを言っている。

叡基は自分に話し掛けた。

「これで良かったのだ。おしのはきっと郷助夫婦にも可愛がってもらえるだろう。私も江戸に行く機会がきっとある。その時には足立村に寄っておしのに会うこととしよう」

 

翌日叡基は郷助に文をしたためた。

郷助からの文は折り返し来た。善は急げで年内には祝言を挙げたいということだった。叡基は測量の仕事が一段落する時期を選んで、おしのと相談の上、おしのと一緒に江戸に上ると返事した。

おしのは今までやってきた家事の内容を書き留めていた。特に食事の献立だ。

「叡基様、これが畑で作っている野菜の栽培帖です。これから寒くなりますが、寒さに耐えた野菜は美味しいのです。これから来年の春に向けて特に気をつけることはありせんが、ダイコン、ホウレンソウなどは時期がきましたら、収穫してください。そしてこれが献立帖です。今迄作ってきた食事の中で、叡基さまが特に気にいってくださったものには丸印をつけております」

 

叡基からの文を受け取った郷助一家は喜びに包まれていた。特に喜んだには郷助の妻、タケだった。

「私にも娘ができた。そして孫もこの目が見られる」

ある晩、郷助はタケとしみじみと話した。

「俺らには幼くして死んだ鉄吉と松がいた。子供が死んだ時、俺は生きる力を失いかけたが、お前がしっかり俺を支えてくれたお陰で何とかここまでやってこれた。おしのは松の身代わりかもしれない。本当に嬉しいことだ。」

 


第76話 叡基・狭野での土木・建築工事

狭野藩は小さな藩だ。当然領地も狭い。氏安は叡基とこれからの領地開発について話し合った。2人は藩庁の池に架かった小さな太鼓橋のところに座って話し始めた。

朝の空気は気持ちがいい。氏安は思わず深呼吸をした。

現在他の藩では新田開発が盛んに行われている。森が次々に削られていく。森の木を伐採して、田圃に変えればそれだけ米の生産が増える。それでいいのだろうか。

氏安は北条五代の領国経営策について調べていた。調べれば調べるほど、当時としては進んだ政策を採っていたことが分ってきた。まず北条家の家紋。家紋には財産と生命が穏やかであるようにと、人々の平和な暮らしへの願いがそこには込められている。氏安は母が存命中に聞いた話がある。母は言った。「北条氏第一代の早雲様は浪人から成り上がったと世間では言われていますが、本当はそうではありません。早雲様は室町幕府で高い位についておいででした。京の都から東国の伊豆に行かれたのには何か深い訳があったとのことです。私は京の力、因習の及ばない小田原に理想の国を建てることが早雲様のお考えだったのではないかと思っています。北条氏には理想の国をつくるという思いが連綿とあるのです。そのことをあなたも心に刻んでおかれますように」

氏安は母の言葉を胸の中で反芻しながら、叡基に書き物を渡した。そこにはこのように書かれていた。

1.農民に苛酷な税負担を強いない。そのためにも農地の面積、農地が痩せているか、肥えているかも正確に調べる。適正な税負担ができるよう正しい検地を行なう

2.家臣、代官が私服を肥やすための勝手な徴収命令を出すことがないように、農民への文書、工人、商人への文書には必ず北条の家印を押すこととする

3.楽市楽座の場を決めて、商業を振興する。また領内での通貨を永楽銭に統一する

4.適地適作を実施し、米だけではなく領内で消費する野菜、果樹を増産し、また換金性の高い木綿、生糸、薬草の生産に力を入れる。新田開発は慎重に行なう

5.河川の氾濫、地すべりの危険を最大限防ぐ

6.狭野の地を桃源郷にする

 

読み終えた叡基が顔を上げて微笑みながら、答えた。

「承知致しました。桃源郷とするための、領地利用計画を早速作ることといたします」

ところで、と叡基は言葉をつないだ。

「1から5までは詳細に書かれていますので、お尋ねするまでもありませんが、6番目の桃源郷について殿のお考えを少しお聞かせ頂けないでしょうか」

氏安は答えた。

「領国に住むものが日々戦さの不安もなく、自然と共に、その美しさの中で、平和で穏やかな暮らしができること、そして四民が助け合い、義と慈悲を行き渡る・・・私は桃源郷をそのように考えている。理想の国、なのだ。それは何も私が一人で考えたことではなく、北条第一代の早雲様が東国で目指されたことだった。それを私はこの狭野の地で受け継ぎ、実現しようとしている。」

「ありがとうございました、お恐れながら殿のご心中にあることは私の願いでもあります」

叡基は氏安に頭を下げた後、呟くように言った。

「さてさて、忙しくなります」

氏安は大空を見上げてから、叡基に顔を向けて言った。

「叡基殿にはご苦労をお掛けする」

 

叡基は領地利用計画をつくるにあたり、あらためて領内の田圃、畑地、果樹園、溜池、小河川そして木綿、生糸、薬草の栽培地、さらに最近河川の氾濫、山肌の地すべり、崖崩れのあった場所を調べることにした。そのために測量に長けたものを4名、記録係りを1名、農民の古老2名を集めて組をつくり、早速現地調査を開始した。その一方で農地の検地を正しく行なうための測量方法、また計算の仕方を研究するように税を集める係りの者に指示を出していた。従来弧状の地形のところは切り上げて長方形で計算していたが、叡基派は正確に弧状の面積を出すようにとの課題も与えていた。

 


第75話 氏安・幕閣の一人として藩主として

 

氏安は江戸城から狭野に戻れるのは2ヶ月に1回程で、狭野藩に滞在できるのは2週間程しかなかった。家老たちと藩の運営について報告を聞いた後、早速天岡を呼んだ。天岡は御料地桑名の村請制度の進展を報告した後、助郷制度の改革について説明し、伺いを立てた。氏安は村請制度の報告を聞いた後、このように言った。

「天岡、村には眼には見えないが沢山の、貴重な宝がある。知恵の宝庫なのだ。村で農産物を栽培し、村人全員が飢えることの無いように、また年貢を規定通り納めることができるよう、村人達はそれこそ必死の思いで日々仕事をしている。農民が畑を見る眼差し、栽培している農産物を見分ける基準、天気を予知する基準は代々親から子へと引き継がれてきたものだ。いや叩き込まれてきた、と言った方が良いだろう。田畑をイノシシ、鹿、狐から守る猟犬についても、良く働く猟犬とそうでない猟犬を区別する基準を村人は持っていると聞いたことがある。陽に焼き尽くされて黒くなった肌、家畜の糞尿のする農民の外見から、農民を見誤ってはならない。天岡、知恵の宝庫の鍵を持っている農民にただひたすら教えてもらいながら、農民を先生と思って学び、そして考え、村請制度を生きたものにしてほしいのだ。農民と村のため、米の増産、品質の改良に取り組むのだ。」

氏安は一呼吸置いてから、言葉を繋いだ。

「すべて叡基殿から教わったことだ。村の改革を進めるためには村人に成り切ること大事だ。その時初めて、村人の知恵とオヌシの知恵がひとつになり、そこから新しい知恵が湧き出てくる。」

「助郷制度については一番大きな問題は、やはり宿場の者達が安心して切手を引き受けるための裏付けだろう。問題はどのような裏づけであれば宿場の者達が安心するのか。そのためにもこの仕組みを分かりやすく宿場の者達に説明しなければならない。そして難題はどのようにして毎年安定的に1割の利足金を宿場に払うか、だ。」

天岡は答えた。

「殿の仰せの通りです。1割の利足金を払うためには5つの要素が揃わなければなりません。私なりに考えた5つの要素についてご説明させて頂きます。

まず第一に、当然のことですが現在成長しており、今後も成長が見込まれる地場産業に貸付ける、ということです。そのためにはどのような地場産業に目をつけるか、目利きが重要となります。

第二に、異なる性格の地場産業を組み合わせるということです。業種が異なれば危険性を分散させることができます。同じ業種に一本化すればその業種にとって景気の良い時は問題ありませんが、悪化した時には総崩れとなり、利足金を確保することができなくなりますし、場合によっては貸付金の回収も難しくなります。平和の世の中になってきましたので、人々の暮らしも落ち着き、衣食住も豊かになってきました。いろいろな地場産業が盛んになってきております。

第三に、貸付先については例えば5つの業種を選んだとして、5つの業種で組をつくります。この組の下に順番待ちの地場産業を集めておきます。組には組長を置いてその者が組を構成している5つの地場産業から利足金を出させ、全部で50両揃えさせるようにします。利足金の基準は1割です。この5つの要素の中でこの仕組みづくりが一番の要となるかと存じます。成績の悪い地場産業は順番待ちの地場産業と入れ替えることとします。

第四に、事業を拡大するためには元手が必要です。しかし地場産業にとって金を借りることは簡単なことではありません。まだ十分な信用がありませんので、過大の担保が要求されることになります。5つの地場産業に100両づつ貸付けるということであれば、担保の確保もそれほど難しくはありません。

第五に組長には御料地でのご用達の特権を与えることにします。そうすれば組長は自分の責任を自覚して、一層職務に励むようになると存じます。

氏安は頷きながら天岡の説明を聞いていた。そしてこう言った。

「天岡、良くぞ考えた。オヌシの案で進めてくれ。なお万が一の場合は狭野藩が元本と利足金については責任を持つ、ということにする。桑名の宿場の者達には『狭野藩による元本と利足金保証』と伝えるがよい。」

天岡は氏安に深く頭を下げた。

「誠に恐れ入れます」

暫く頭を上げることができなかった。

天岡の目は涙で潤んでいた。

 


第74話 波江・この世の人生への問い

 

波江は毎日早朝から深夜まで働き詰めだ。何時寝ているのか分からないくらいで、千恵が心配して聞く。何かに憑かれたかのように、いや何かから逃れるかのように働いている。

「お母さん、いつ寝ているの?大丈夫?」

「千恵ちゃん、大丈夫よ。ちゃんと寝ているわ」

しかし実際のところ、夜泣きする赤子の世話もあり、まとまった時間眠るというのは難しかった。

波江は赤ん坊の世話から農作業、寺子屋での授業、孤児院の子どもたち一人一人の身の回りの世話そして3度の食事の準備、をしていた。千恵も手伝った。直売所と引き売りの売上は千恵が責任を持って管理し、波江に報告している。

赤ん坊を引き取り、世話をするようになってからは、畑の脇の直売所、そして町中での引き売りは千恵と幸太の2人で行くようになった。子供の引き売りということで贔屓にしてくれるお客が何件かついた。ある日の夕方、その日の売上金を持って家に帰ろうしている時、暗がりから若い男が飛び出してきて、千恵の身体にぶつかり、売上金を奪おうとした。

千恵は売上金を野菜の袋の中にしまっておいた。若い男は千恵を脅して言った。

「金はどこだ?」

千恵は落ち着いて答えた。

「お金はわずかですがあります。でもこのお金は私達が今日畑で働き、町中を行商していただいたお金です。私達の毎日の大切な生活費なのです。それでも持っていきますか」

若い男はたじろいだ。

「そうか」と言ったまま、立ち去っていった。

幸太はびっくりして千恵に言った。

「千恵ちゃん、スゴイね。怖くなかった?」

「真面目そうな人だった。人は自分にできることで働いて生きていかなければならないわ。人から奪ってはいけないのよ」

 

波江はある時、幸太にこう言ったことがある。

「幸太ちゃん、ここは孤児院だけど、これからはもし幸太ちゃんさえ良かったら、こう思ってほしいの。ここが幸太の実家だと。幸太はいずれ世の中に出ていくのよ。仕事の一番基本の農作業を覚えればいつでもどこでも働けるわ。読み書き、和算をしっかり覚えれば商いだってできる。でも一番大事なことは人として恥ずかしくない生き方をすることよ。幸太が大人になってこの孤児院を出ていっても、いつでも来たい時には来ていいのよ。ここが幸太の実家なんだから、遠慮しないで来てね。慈光和尚さんと一緒に待っているわ」

幸太は黙って頷いた。

 

波江は警戒していた。最近はキリシタン狩りが一層激しくなってきている。家の中に突然役人が入ってくることもある。先日夕餉を終えて、子どもたちが風呂に入り、寝静まった頃、役人が2名突然やってきた。部屋の中に上がってきて、あちらこちら調べ始めた。

役人が言う。

「このあたりにキリシタンがいるとの知らせがあったのだ。キリシタンはお前たちか」

役人の質問に波江は落ち着いて答える。

「私たちはお調べいただくと分かりますが、隣の慈光和尚様のお寺の檀家です」

役人が帰った後、波江は千恵と話し合った。

・二人以外の時はキリスト教の話は一切しない

・隣の慈光和尚様のお寺でのお勤めは欠かさない

・子どもたちの前でも、寝静まった後もキリスト教の話はしない

 

波江は最近、この世とあの世、つまり天国のことについて考えている。人の命はこの世だけではなく、あの世にも続いている。この世の苦しみ、悲しみは必ずあの世で癒される。

それにしてもなぜそのような苦しみが、悲しみが「その人」に与えられるのか。千恵の母親、拷問に会い殺されるキリシタンの人々・・・。そこには「その人」に与えられた神の御こころがあると波江は頭では理解しようと思っているが、気持がついていかない。

この世には勿論喜び、楽しみはあるけれどが、それ以上に苦しみ、悲しみがある。ゼウス様はなぜこの世を造られたのかしら。この世はあの世のための修行の場、とも言われる。

どんなに厳しい修行になるか分からないが、それに堪えぬかなければいけない。私は今、千恵と一緒に生きている。子どもたちと一緒に生きている。私は生まれて初めて生きる喜びを感じている。生きてきて良かったと思っている。だからどんなことがあっても生きていきたい。私のためではない。子どもたちのために。それが私の幸せなのです。このような私の幸せをゼウス様、あなたは守ってくださるのでしょうか。死とは終りではなく、あの世の人生の始まりなら、この世の死とは救いなのでしょうか。でも私はこの世でもっともっと生きたい。生かしてください。

最期は祈りとなった。波江は布団の中でそっと涙をぬぐった。

 

最近千恵が波江にこう言った。

「お母さん、私にお母さんの料理を教えてください。今迄以上にお手伝いしたいの。」

千恵は波江が教えてくれる料理のつくり方を一つ一つ覚えていった。なぜ千恵がそんなに

熱心に料理に取り組むのか、波江は千恵の横顔を見ながら、千恵の将来のことを考えていた。「千恵ちゃんは何かを考えている」

 

ある晩、波江は千恵と夕餉を共にしながら、それとなく千恵に聞いた。

「千恵ちゃんは将来どんな仕事をしたいと考えているの」

千恵はうれしそうに答えた。

「お母さん、私ね、将来食べ物屋さんをやりたいの。みんなが食べにくるお店よ。畑でとれた野菜を使って、美味しい料理をつくって地元の人達に食べてもらうの。まるで家族みんなで食べているような温かいお店。そんなお店を開きたいの。そのお店はただ食べるだけではなくて、家族のように集まり、地元の人達と苦楽を共にしていけるような、地元にとってなくてはならないようなお店です。お母さん、私、お母さんと一緒に料理して、そして食事をしながら思ったの、食べ物って人を幸せにする力があるな、って。ううん、贅沢な食べ物というわけではなくて、普通の食材でも美味しく料理すれば人を幸せにすることができる。 最近私、思ったの。料理の仕方は限りなくある、って。それを考えると楽しくなるわ」

 


第73話 郷助の作業場と源次の帰郷

 

郷助の作業場で働いている助手達は腕を上げていった。特に大船渡の源次はもともと大工だったこともあり、もう一人で車椅子、義手、義足をつくることができるようになっていた。最近は片足を無くした農民から松葉杖をつくってほしいとの注文もあった。毎日作業に追われる日々が続いていた。作業場は活気があった。7人の助手が働いている。皆、若者だ。

郷助は思った。「源次を大船渡に帰す時かもしれない。これからは才蔵さんが担当してくれている仕事を源次に覚えてさせて、一本立ちさせよう」

郷助は源次にノレン分けすること話した。

「仙台、陸奥の農民のために、大船渡に戻って車椅子、義手、義足、松葉杖をつくって欲しいと思っている。お前の気持はどうだ」

「まだまだ親方から学ぶことがありますので、もう少しここに置いてほしいのですが、親方がそう仰るなら否も応もありません」

「源次、おまえならやれる。お前がいなくなるのは寂しいことだが、仙台、陸奥の農民のためだ」

郷助は源次を皮切りにして、助手の一人一人の技量を確かめた上で、故郷に帰し、地元で仕事をさせたいとかねがね思っていた。才蔵にもこのことは話していた。

源次の送別会が郷助の家で開かれた。

郷助は最初の挨拶した。

「源次が故郷の大船渡に帰って、車椅子、義手、義足、松葉杖をつくることになった。最初は一人で大変だろうが、源次だったら、できる、大丈夫と俺は思っているだ。陸前でも手足が不自由で困っている人が多くいることだろう。少しでも困っている人達のために俺らは仕事をするだ。ここ武蔵の国と大船渡は離れているが、俺らは皆本のところでつながっている。俺は欅の木が大好きだ。根元から幹のように太い枝が何本も大空に向って伸びている。離れていてもお互い文を交わし、切磋琢磨していこう。俺たちが源次に新しいやり方を伝える、源次も是非そうしてくれ。そして皆もいつかは生まれ故郷に帰って、身体が不自由な人々を助け、生きる希望をもってもらえるように、気張ってほしい。」

郷助の挨拶の後、次郎太とタケと孝吉が足立村に昔から伝わる歌を歌った。

「山から風が吹いてきて 言うことにゃ 言うことにゃ

夕餉に食べるものは何だ

俺にも何か食わせてほしい

今日は朝から四方八方吹き歩き

腹が空いて眼が眩む」

 

源次は越喜来で歌い継がれてきた地元の歌を良く通る声で歌った。

「里海に魚が次から次へとやってくる

大きい魚、小さい魚、いろんな魚がやってくる

俺らは手を合わせて網を引く

越喜来の魚は人の言葉を使う

 

俺たち大人の魚はドンドン取っていい

だけど子供の魚はとっちゃダメだ

俺たちは人間とこれからも

ずっと一緒に生きていくのだから

昔からずっとそうしてきたのだから」

 

車座になって食事をし、酒を飲んだ。食事はタケがこの1週間、準備をした。畑の野菜、山菜、田圃の中のタニシと泥鰌、川の中で捕まえた川魚とうなぎなど、心尽しの材料を集めた。

 

翌朝早く源次は旅姿になって郷助の家を出発した。皆一列になって源次の手を握り、声を掛けた。源次も力強く握り返した。

「源次さん、くれぐれも身体を大事にしてください。そして人々に生きる希望を与えてください」

全員で手を振って源次に別れを告げた。

郷助と才蔵は村の境まで源次を見送り、それぞれ書き物を渡した。

郷助は車椅子、義手・義足・松葉杖の作り方をまとめた作業覚帖を、才蔵は講の仕組み段取り帖を源次に渡した。

「これを俺らの餞別と思って受け取ってほしい。後は自分で創意工夫すればいいだ」

「親方、才吉さん。ありがとうございます。これは俺の宝物にします」

二人は村の境で源次の姿が見えなくなる迄見送っていた。

 

郷助の作業場で最近新しい取り組みが始まった。それは安全な農機具の開発と製造であった。手がかかるのは田植えと除草と収穫後の脱穀だ。

 

そして驚いたことがあった。将軍の訪問があってから3ヶ月後、江戸城から使いの者が来た。早速登城するようにとのことであった。何事かは説明がなかったが、否応なく行かなければならない様子だった。翌朝迎えの者が来た。

タケ、孝吉、才蔵が見守る中、郷助は江戸城に向かった。

郷助は土井利勝に引き合わされた。

土井は丁寧な物腰で郷助に話し掛けた。

「仕事で忙しい中、呼び出してまことに済まない。実は私の娘は片足が無いのだ。幼い頃病で右足を切らなければならなかった。今度あるところに嫁入りすることになった。そこで娘が言うには五体満足で花嫁姿になりたい。そこでオヌシに是非本物そっくりの右足をつくってほしいのだ。」

郷助は利勝の娘に引き合わされた。女中に両側を支えられてやってきた。

娘は身体に障害を持っていたが、そのような暗さは見せない、瞳のきれいな女性だった。

利勝の娘は郷助に深く頭を下げた。

 


第72話 新之助 商売の手ごたえを感じる

 

新之助が責任者になっている大和屋は繁盛とまではいかないが、客足の段々増えてきた。

ある日、先日絹の敷布を売った薬種問屋の主人がやってきて、言う。

「お陰様で、家内が喜んでいます。絹の敷布はとても気持ちがいい、と。ところで、敷布は毎日使いますとどうしても汚れてきます。自分で洗えば良いのでしょうが、今の家内の状態ではそれも叶いません。もし、こちらで洗っていただければ助かるのですが、そんなこと、お願いできるものでしょうか」

店主の順吉は話を聞いた後、言った。

「お困りのことをお話くださり、ありがとうございます。早速検討させて頂き、ご返事致します。」

薬種問屋の主人が帰った後、順吉は外出し、一刻後戻ってきた。そして新之助に相談した。

「先日絹の敷布をお買い上げいただいたお客様から、使っているうちに汚れてくる敷布を洗ってくれないだろうか、とのご相談を受けました。木綿と違い、絹の洗いは別です。

米ぬかで一枚一枚丁寧に押し洗いしなければ、絹を傷めてしまいます。それで以前萩屋にいた時、そのようなご相談を受けて絹を洗ったことがありました。

萩屋のご主人に相談したところ、それならちょうどいい洗い屋がいるとのことで、いつでも紹介する、とのことでした。お客様とのつながりを強めるためには洗いまでお引き受けするのが良いかと思いますが、いかがでしょうか」

新之助は、お客様を大切にするとはどんなことか、順吉の話を聞きながら、教えられた思いだった。

「この話、是非進めてほしい。新品を買って頂き、洗いもさせて頂く。これは絹の商いの場合、肝になることかもしれない。まずはその絹の洗い屋に詳しく話を聞いて、洗う前と洗った後の見本を準備するように頼んでくれないか。私達で実際に確かめてから、薬種問屋のご主人にお見せすることにしよう」

大和屋では肌を白くする泥炭の小袋が人気商品になっていた。使ったご婦人が口伝えで広めてくれたらしい。

新之助は大和屋の商いに手ごたえを感じ始めていた。

「これならやっていけるかもしれない」

 


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